736. 人類の叡智につながるとき

 

今日も空いっぱいに雲が広がっている。

実際のところ、それが雲かどうかも分からない。もしある日、空自体が白くなったとしたら、どうやってそれに気づくことができるだろうか。

「雲」にまつわる意味と記憶を脇にやると、そこにあるのは白い空。
「空」にまつわる意味と記憶を脇にやると、そこにあるのは果てしなく広がる空間。

こんなに広い世界の中に身を置きながら、放っておくと頭はすぐに、言葉や意味でいっぱいになる。

昨晩は、ここ数日取り組んでいた人類の進化の歴史とコミュニケーションの発達についてまとめ上げた。

できるだけ平易な言葉で、どちらかというとビジュアルイメージでテンポよく読み進めてもらえるものにしようと思っていたが、結果としてスライドは50枚近く、6000文字を超えるちょっとした読み物になった。

これは以前から執筆を進めようとしていた書籍の概論にも近い。駆け足でさらった内容をそれぞれ深めていくことで10万字を超えるものにはなるだろう。その中には実践的な取り組みもふんだんに盛り込みたい。


奇しくも、世界がこのような状況になる前に考えていたことが、今、現実味を帯びた課題として人類の前に立ち現れている。

オンラインという、一見無限のようで2次元的でもある世界の中で、人間が効率を求める機械の一部になるか、世界中を見えないネットワークでつなぐ有機的な生命体になるか、この数年間で人類の未来は大きく変わる気がしている。

それに対して、自分の中で突き動かされる何かがある。

最終的に論理的な処理をしているのは私自身の頭なのだが(それもそうとも限らない)様々なリソースが自分自身の経験からだけでなく、世界中の様々な場から立ち上がってきている。


脳や身体が直接、世界とつながっている感覚だ。インターネットのようなネットワーク機能を人間も持つことができるのだろうか。


人類の集合知・集合的意識が収められた(収められたという言葉が適切なのだろうか)アカシックレコード、もしくは宇宙図書館という場所があると聞くが、意識がある特定の状態になったらそこにアクセスすることができるのかもしれない。

生まれてこの方身につけてきた社会的・慣習的な価値観や自分を守るための殻のようなものに気づき、その奥にある純真なものとつながることができたら、そこからあらゆる精神的な場につがることができるようなイメージが今は湧いている。

それにしてもさすがに24時を超えてまでの作業は身体や思考に結構な疲労をもたらしているようだ。

今日の対話の時間までゆっくりと脳と身体を休めることにする。2020.7.5 Sun 9:06 Den Haag

 

737. ひとり目覚め、パートナーとの対話を思う

うたたね、と呼ぶには長い眠りから覚めて最初に感じたのは寂しさの感覚だった。

目覚めた瞬間にはいつも、自分がひとりであることを強く感じる。今日は日中、日本にいるパートナーと久しぶりに話をしたので余計にそう感じたのだろう。今の拠点に8月上旬までは滞在するつもりだという話を聞き、心に寂しさを感じた。8月に訪れる誕生日には一緒に過ごすことができるだろうかと淡い期待を抱いていたが、どうやらそれは難しいようだ。オランダは先日、欧州連合の取り決めを受けて日本からの訪問者を受け入れることになり、それは私をとても喜ばせたのだが、いつどんな風に状況が変わるとも分からない。

日本の中でいくつか訪れたい場所があり、次に日本を訪れるのであれば、オランダに雨の多く日本の気候の良い10月もしくは11月が良いだろうという気がしているが、マスクをつけて生活をしなければならないことを想像すると、肉体的にも精神的にも息苦しさのようなものを感じ、躊躇が生まれる。

私のオランダの個人事業主としてのビザは今年の末には更新の手続きを迎える。その後、順当に行けば5年間のビザをもらえるはずで、その間に(オランダ語の試験に合格すれば)欧州永住権を取得する手続きを進められることになる。

今のところ日本に戻る気がないことを考えると、英語とオランダ語を本腰を入れて学び、少しでも人とのつながりを持った方が良いだろうか。浅い人間関係を広げることには関心がないが、日々何気ない話ができる相手がいることはとても美しいことだったなと、そんな時間があったことを振り返る。

いつ訪れるとも分からないときを、まだしばらくは待ち続けるのだろう。

ぽっかりと心にあいた、この、いろいろな感覚がないまぜになったスペースを、そのまま味わい、抱擁することが、今の私にできることだ。

一番近くにいる人が、一番の対話のパートナーになることはできないのか。

それは、今私の中にわいている疑問であり、世界への提案だ。

人の話しを聴くことは確かに難しい。近しい人であればなおさらである。しかし、生活や人生をともにするのであればなおさらその相手とどのような対話を交わすことができるかが人生の質を決めるのではないかと感じる。

優れたアドバイスなどせずとも、必要な形で話を聞いてもらうことができれば人は本来持っている力を発揮していくことができるのだ。

一番身近な大切な人の話を毎日聴くことができたら、それだけで人生は美しいものになる。そう思うのは幻想なのだろうか。

しかし、そうでもしないと、人生の中で人々がぶつかる苦しみや葛藤、今世界に広がる困難な課題を乗り越えていくことも難しいのではないかと思うのだ。残念ながら、人の話を聴くコーチの数も質も、圧倒的に足りていないだろう。専門家でさえそうなのだから、そうでない人にはさらに難しいことなのだろうか。

そうでもないのではないかと思うのだ。聴くことは結局のところ技術ではない。意識が何に向くかということが大事であって、それはつまるところ、自分の中に恐れやコントロールがあるかどうか、自分自身が満たされているかどうかなのだ。

満たされると言っても何か大それたことを達成したり、何かを手に入れたりする必要もなく、今の自分が「満たされている」ということに気づくだけでいいのだ。

そう考えると、現在行われているコーチングスキルに関する学びの多くは、無駄ではないが多少的外れなところもあるのではないかという気がしてくる。聴き方を知るよりも、なぜ聴くことができないかを知ることが、自分を知ることなのではないか。

そのあたりは最近まとめているものをさらに深め、何らかの形で投げかけていきたい。

ここ数日、天気が悪い日が続いていたが、ようやく陽の光が差してきた。

7月、8月にはどこか他の街や美術館にでも出かけたい。オランダ北部の街に暮らす友人は元気にしているだろうか。(日記を読む限りでは元気そうである。)

この空はどこまでも続いているのだと思うと、日本も、それ以外の場所も、さほど遠くはないのだという気がしてくる。2020.7.5 Sun 18:52 Den Haag