734. ジェネレーションBが立ち上がるとき

何度かゆっくりと呼吸をし、吐く息とともに空を見上げた。

思いの外まだ明るい青空には、ほのかに橙色に照らされた雲が東の方角へと動いていく。

今日もまた小さな奇跡がいくつも起きている。そんな実感がある。


今朝は、新しいプロジェクトを共にしている仲間たちとのやり取りの中で「ジェネレーションB」というい言葉が浮かんできた。

いくつかの説があるようだが、主に、米国ではジェネレーションXは、ベビーブーム世代以降の1965年から1980年頃までに生まれた世代、ジェネレーションYとは1980年代前半から1990年代もしくは2000年代前半に生まれた世代、ジェネレーションZとは2000年代以降に生まれた世代を指すと言う。

これで言うと、私はジェネレーションYの世代にあたるのだが、どうも、日本では1970年代後半から1980年代後半に生まれた、ジェネレーションXとジェネレーションYの間にいる人たちは、XともYとも違った、また違った世界観や物の見方を持っているように思う。

日本では不動産価格が上がり続け、好景気だったと言われる198612月から19902月までの51ヶ月間がいわゆるバブルと呼ばれる。

1970
年代後半から1980年代後半生まれというのは小学生の途中か、小学生になる前くらいにバブルがはじけた世代であり、ちょうどその頃に物心がついたことから、その後の「失われた10年」と呼ばれる時間を、「何が失われたか分からない」状態で過ごしてきた世代とも言える。1987年生まれから2004年生まれを日本では「ゆとり世代」と呼ぶそうなので、その手前の世代ということになるだろうか。(日本で言うジェネレーションYYは、ゆとりのYとも言えるのだろうか。)

小さい頃に、多少、親がバブルで浮き足立っていたという経験はしているものの、社会人になっても特段美味しい思いをしていない。成長神話を信じるわけでもなく、多様性神話を信じるわけでもなく、それでも「どちらの考えも分かるけれど」という感覚がある。

高度経済成長期を過ごした人たち、もしくはそれを過ごした人たちに直接育てられた人たちと、ゆとりと呼ばれる世代より下の年代の人たちの持つ価値観は驚くほど異なっている。


誰しも意識の慣習的段階を通るが、そこで従った慣習やよしとされたことが、全くもって違うのだ。

ジェネレーションXより上の世代は、あまりにもヒエラルキー的な慣習が強く、一方でジェネレージョンYより下の世代は「No.1にならなくてもいい」的な慣習があまりにも強い。(その結果、「自分探し」という路頭に迷う人も多い。)

全く違う価値観を持つ世代の緩衝材もしくは通訳になるような、そんな世代。それが、ジェネレーションXとジェネレーションYの間の世代だ。

その世代に何か呼び名をつけることはできないだろうかと考え、betweenbridgeの頭文字であるBを仮称としてつけることが思い浮かんだ。(もっと感覚的にXYの間であることが分かる呼び名はないものかとも思っているのだが。)

この、仮称、ジェネレーションBは今社会に影響を与えることができる立ち位置にやっと近づいてきている。

ちなみに、デンマークの首相は42歳、フィンランドの首相は34歳、ニュージーランドの首相は39歳。(全て女性。)歴史的な背景は違えど、世界ではこの世代の人たちがすでに国を動かし初めているのだ。

日本で、組織の中で様々な矛盾や葛藤を感じながら汗をかきつづけてきた同世代の仲間たちも、今、組織にインパクトを与えられる役割に辿りつつある。

40
代を間近にして、「面白くなってきた」という感覚が私自身にもある。

(一方で、40台前後というのはちょうど意識のステージの変化を迎える人が多く「我々には見えているものがある」「一肌脱がねば」と感じるようになるタイミングで、先達たちも同様に感じてきた感覚なのかもしれないとも思う。)

いずれにしても、現在のコミュニケーション環境の大きな変化によって、人類が2D・二次元の合理的かつ階層的な思考に閉じ込められ、機械の一部となるか、それとも4次元・5次元の世界に自らを解放するとともに、地球と共存していく道を選べるかは喫緊の課題となっている。


これを「喫緊」と感じることの危うさ、急ぐことによりシステムが崩壊する恐れも感じるが、これまで集めてきた全てのピースが(全てではないが、ほとんどのピースが)はまろうとしている今、やってきた船に乗らないという選択はないだろう。

進化や変容は常に不可逆反応だが、一方で、表面上変化がないように見える、土に潜っているような時間、繭に包まれているような時間(まさに私がこの半年以上過ごしてきたような時間)も、決して退行を意味するのではないということは心に留めておきたい。

そういう意味では私の役割は、日本企業が「急務」と考える個々の意識変容を、先を急がせないものにするということでもあるのだろうか。

数万人、その先にいるさらに数万人、数百万人、数千万人の今後に、少なからず影響があるとすると、自分自身の思考が生み出される文脈に注意を向け続け、正しさの中に身を置かず、より大きなものと現前のものから学び続けることを肝と肚に命じたい。

最前を尽くす努力と、静けさとともにあることと、神に祈る以外に、何ができるだろう。2020.7.2 Thu 22:14 Den Haag