732. めくられなかったカレンダー

 

今日も中庭に茂る葡萄の葉に水の粒がついている。

ここのところ、毎日のように雨が降っている。昨年の秋、10月から11月にかけて思いの外雨が多くて驚いたことは覚えているが、この時期の記憶はない。

昨年の今頃、私は何を見て、どんなことを感じていたのだろうか。

リビングで白湯を飲み終え、ふと、壁にかかっているカレンダーに目が留まった。今日は71日、月ごとのカレンダーをめくるのにちょうどいい日だ。カレンダーは昨年、ロンドン郊外のボタニカルガーデンで買ったものだ。

2017年の年末にパートナーが出張先ですっきりしたフォントとゆったりと取られた余白の美しい小さな卓上カレンダーを買ってきてくれて以来、翌年には私がロンドンで購入したやはり小さな卓上カレンダーを贈り、そして昨年は一緒に訪れた先で大きめのカレンダーを購入しと、年末に翌年のカレンダーを贈ることが恒例行事のようになっている。それは、「来年もよろしく」という、メッセージのようなものでもある。

植物の絵が描かれたカレンダーは大きなものだったこともあり、リビングの暖炉の跡の上に大きな鏡がかかっていた場所に据え付けられたフックに引っ掛けた。

それから毎月、その月のページに描かれた植物の絵を見るのを楽しみにしていた。はずだったのだがカレンダーをめくろうと手を伸ばすと、絵の下の「MAY」という文字に気づく。

なんと、私は6月の1ヶ月間、カレンダーをめくらないままでいたのだ。

確かに6月は、何か大きな流れや変化を感じ、それに意識が強く向いた1ヶ月間だった。毎朝、鳥の声や風の音を聴いてはいたが、思考が強く働いていた時間も長い。

そうだ、5月の末から、オンラインでいくつかの講座や取り組みに参加していたということも大きい。「予定」というものが多分にある(と言ってもそう多くはないのだが)と、その中でこぼれ落ちていくものも多く出てくるということを感じる。

こうして日記を書いている今も、思考と感覚をどっちつかずで行き来している。

深く潜行するには重心が上の方にある。今はそんな感覚だ。

まずは家の中をととのえ、そのプロセスの中で、身体の状態も味わいたい。2020.7.1 Wed 7:37 Den Haag

 

733. 速さより深さを、戦いよりも抱擁を

久しぶりに、隣にある保育所の庭で遊ぶ子どもたちの姿が見えた。手入れをする主のいない我が家の一階部分の庭は様々な種類の植物が生い茂っている。向かいのガーデンハウスの屋根の向こうから、喉元の白い黒猫が顔を出している。

「ゆっくりとした変化」

という言葉が浮かんでいる。

それは今日、自分自身の変化について対話を通じて振り返ったということもあるだろう。そして今、関わろうとしている個と組織の変化の取り組みに自分自身がどう向き合えば良いのか、どんな指針を示せば良いのかということもずっと頭のどこかに浮かんでいる。

変化には時間がかかるのだ。

ときに数ヶ月、いや、数年かもしれない。

外から見たら一見、停止もしくは退行しているような時間を経て、変化は緩やかに起こっていく。緩やかな変化ほど、深いところから起こる変化とも言えるかもしれない。

それが、速さや、一律なあゆみを求められるのはなぜなのだろう。

人間が機械のように思われているのだろうか。

変化や成長をすれば、組織にさらなる利益をもたらすと思われているのだろうか。

確かにそういう面もあるかもしれないが、企業とはそういう場所なのだろうか。

そういう場所だったのかもしれないが、これからもそうあり続けるのだろうか。

かつて、生きる上で苦痛を生むような不便さがあったときは、それを解決することが企業の存在意義だっただろう。

今はどうだろう。あまるほど物が溢れ、結局人は、それらの物を使うこと、それを購入するために働くことで忙しい。一方で困難や苦しみの中に居続けている人たちもいる。

消費的な生活を煽ることが、企業のなすべきことなのだろうか。
そのために機械のように働く人間をつくりだすことが企業のなすべきことなのだろうか。

人間が成長の過程で経る段階はどれも必要なものであって、それぞれの段階で持つ欲求を満たそうとすることはとても自然なことだ。しかし、社会として不健全さが生まれているということは、個人の成長もしくはそれを包み込むはずの社会システムのどこかに不健全さがあるということなのだろう。

そこにどうやって関わっていくか。

まだ解は見えていない。

しかしそれが今、世界から与えられた問いなのだということを感じている。

ささやかでも、個人に関わり続けることは私のテーマである一方で、大きなシステムにどう働きかけるのか。

生きているうちにその問いが解けるかどうか、世界が続いているかどうかさえ分からないが、人類が向き合ってきた問いの一瞬の担い手として、自分自身はどうあるかということが今問われているのだと思う。

あたたかいものとともにある感覚。プレゼンス。優しさ。

与えられたものすべてをもって、いかに、「敵」や「間違い」ではなく、その存在に向き合い続けることができるか。

数ヶ月後にどんな景色を見ているか、想像もつかない。

でもきっと、今日見た景色の美しさが、そこにつながっているのだろう。2020.7.1 Wed 18:25 Den Haag