726. 今に溶ける

 

今朝は随分と早い時間に一度目が覚めた。その前も、そしてその後も夢を見たように思うが、もうその名残さえも今は感じられない。あるのは「夢がそこにあった」という感覚だ。これを、名残と呼ぶこともできるだろうか。

今日は久しぶりに1日予定のない、休養日だ。

と言っても、普段から1日あたりの予定を最大3件(できれば2件が望ましく、1件だとなお良い)としているため、毎日さほど時間や物事に追われているわけではないが、スケジュール帳を辿り、今日より以前に1日予定がなかった日が3週間前だったことを確認し、ここ数週間、大きく流れが変わっていることを実感している。

それは自分自身を世界に開いた結果でもあって、それだけ僅かでも還元しているものがあるかもしれないということだが、それでも絶対的な静けさというのが自分の中には必要なのだ。

そう考えながら、瞬間に生きることの難しさを思う。

どんなに予定があったとしても、それを気にせず、目の前のことに集中すればいいものの、そうはいかないということだ。

瞬間を生きるということについての感覚も大いに変化している。


「今ここが大事」というようなことは振り返れば20代後半頃から感じるようになっていた。入院していた祖父のお見舞いにいったときに「どんな人生を送っても最後に見るのはベッドからの景色なのだ」ということを感じたときに、「未来のために生きる」ということへの疑問を強く感じた。

その後、瞑想の修行などにも行き「今ここ」への意識はますます強くなっていったけれど、今思えばそれはどこか刹那的で、大いなる時間の流れとは切り離された「今ここ」だったように思う。

現在は「今ここ」に対して、少し違う感覚がある。

何と言えばいいだろう。それは「わたし」のものであって、「わたし」のものではない。様々な生き物や時間とつながる「わたし」として生きる、悠久のとき。それが「今ここ」なのだ。

つまりこれは、「わたし」というものに対する認識が変わったということなのだろう。

矮小化された「わたし」ではなく、宇宙に溶け込んだ「わたし」。

そんなわたしとして、今いる景色を見たとき、全ては必然であり偶然であり、未然でもあるという気がしてくる。

風の音に混じる鳥の声を聴きながら、「聴いているわたし」はもはやどこにもいないということに気づく。2020.6.28 Sun 8:48 Den Haag

727. 環境を変えたいと思うときは

 

今年の夏は、少しの期間でもどこか静かな場所で過ごそうか。

そんな考えが湧いてきている。

今の家も十分静かだし、散歩をするのに楽しい場所が近くにたくさんあるのでわざわざ他の場所に出かけるまでもないという気もしてくるのだが、家の前がトラムが通る通りだということもあり、そこには車通りもそこそこあるから、自分がある程度音がある中にいることに慣れているのではないかという気がしている。

もっと、自然の音しか聞こえないような場所に身を置いたらどんな感覚が湧いてくるのだろうか。一週間くらい、日記を書く以外にパソコンを開かなかったらどうなるのだろうか。

オランダでの個人事業主のビザの更新を今年の末から来年にかけて行うことになるが(早いものだ)、それが叶えばその後5年間分のビザがもらえるため、そうしたらもっと田舎や、少なくとももっと静かな場所に引っ越してもいいかもしれないと考えている。

引っ越しについてはこれまで何度か考えたことがあるものの、何だかんだ今の家が快適で大好きで、かつ、安くはない家賃ももろもろ考えるとお得だという気がしてくるので結局引っ越しは現実味がない話となっている。

こうして書いていると、私が今望んでいるものは引っ越しによって手に入るものもあればそうではないものもあるということに気づく。

物理的な環境ではなく、人間関係。

パートナーシップや家族というのが、仕事についての変化が訪れようとしている私にとって、土台のテーマとして浮き上がってきている。

それは今に始まったことではなく、他のことに取り組むことで目をそらしていたと言えるのかもしれない。

それが、どこに身を置くかとも関わっているのだ。

このテーマは、私の中で複雑に絡み合ったものがある。

無理やりほどこうとしても、余計に絡む。

何もない場所にひとり身を置いたとき、その糸は、ふわりとほどけるのだろうか。2020.6.28 Sun 9:05 Den Haag