718. 流れになる

夕食を終え、リビングの窓際に置いた一人がけのソファに腰掛け、うとうとしていた。窓の向こうからちょうどまっすぐに日が差してきて、まぶしさから、右の肘掛に肘をつき、その上に頭をもたげ、手のひらで両目を覆う。

そのまま、あっという間に眠りの世界に誘われた。

その間、開け放った寝室の窓から、「グワグワグワグワグワ」と、大きな声で鳴く鳥の声が聞こえていた。

途中、あまりにもその声が奇妙に聞こえた瞬間があり、「これは夢の中出来事なのか」という思考がよぎる。そんなことさえ、夢だったのかもしれない。

どれくらいの時間、微睡みの中にいたかは分からないが、目覚めたときには太陽の光が顔に当たらなくなっていて、それが、いくらか時間が経っているということを教えていた。

廊下の向こうから、微かにクラシックの音楽が聞こえる。

階下に住むヤンさんが帰ってきたのだろうか。

今朝は、書きかけの日記が消えたところから1日が始まった。

書斎でパソコンを充電しながら日記を書いていると思っていたのだが、コンセントの電源切り替えスイッチがオフになっていた。

ここのところ、電源につないでいないとMacの電源が突然落ちるということを何度か経験している。しかも充電の残量は70%以上残っている表示がされているのに。である。当然ながらそんなことは困るので、基本的には充電をしているのだが、この調子ではMacを外出先で使うなどもっての外、という状態だ。(カフェで作業をすることもほとんどなくなったし、以前のように国をまたいでの移動を頻繁にしているわけではないので外出先で使うこと自体がないのだが。)

調べてみると、一部のMacにそういう症状が出ているということが分かった。改善方法も書いてあったので、このあと試してみようと思う。

今朝は排水管の詰まりが起きた現象と、自分自身を照らし合わせて考察をしていた。

2ヶ月前に我が家のキチンのシンクでは排水管の詰まりが起こり、それによって洗濯機の排水が上手くいかなくなり漏水をした。

原因は排水管に油が詰まったことだった。その原因は私がいつも洗いものを水で行なっていたことであり、その言い訳を一言するなら、それは以前私はお湯を使って洗い物をすると手先の油分が奪われ手あれが起こっていたから水を使っていたのだが、結果として、我が家のキッチンと下の階の天井は少しばかり大変なことになった。

洗い物をお湯でするようになり、今のところキッチンの排水はすこぶる良い。

その時を同じくして、私の暮らしも、何か良い流れに乗ったことを実感した。

自分の中にストックされていた知識や経験を世界に開いたら、自分が世界の大いなる流れの中にいるという実感が湧いてきた。

Give & Takeという言葉があるが、実際にはそこには大いなる流れがあって、その中に身を置くかどうかなのだ。

与えられたものをどんどん世界に差し出していけば、必要なものは入ってくる。そしてまた世界に自分を開いていく。今はそんな流れの中にいる。

積み重ねてきた経験や知識をただ自分の中にストックしておくだけだと、いつか詰まりのようなものが起き、それは何らかの不具合を起こすことになるだろう。ではそれを流す、「お湯」は何を差しているのだろうか。同じ流れでも、水ではなく、お湯である必要があるのだ。

水とお湯の絶対的な差は何か。

それは、お湯の方が、エネルギー量が高いということだ。それを私たちは「温度」として感知するけれど、物理的にはそこにある原子の運動量が高く、それがエネルギー量の違いとなり、そして温度となっている。(厳密には違う気もするが、ざっくりそんな話だったと思う。)

同じ物質でも、個体より流体、流体より気体の方がエネルギー量が高い。

人間で言うとこれは何にあたるのだろうか。

知識に実際の経験が結びついてアウトプットされているかということはあるだろう。行動には運動エネルギーがある。動いている物体と、動いていない物体では、動いている物体の方がエネルギー量が高い(はずだ)。

エネルギーにはもう一つ、位置エネルギーというものがある。その物体が存在する高さが高いほど、位置エネルギーが高いということになる。

これは人間に置き換えると何だろう。

漠然とした言葉だが、想いというのも関係しているだろうか。それを、誰に、どんな背景から届けようとしているか。想いなき知識は、すでに世の中に溢れるようにある情報に、その一部としてすぐに飲み込まれてしまうだろう。

これらは頭で考えていることだが、もっと、身体感覚を伴って「これはお湯で流している状態だ」と思えるときがくるように思う。

お湯の感覚。それを捕まえるべく、感覚に意識を向け続けたい。2020.6.22 Mon 19:34 Den Haag