716. 世界の流れに身を投げて
天色(あまいろ)の空に立ち上る雲は、新しい季節が訪れていることを知らせている。
入道雲とまではいかないまでも、もくもくと立体的に佇む姿は、明らかにこれまでの季節の雲とは違っている。
中庭には鳩の鳴き声が響く。
ここに蝉の声が聞こえれば、私の中にはノスタルジックな感覚が強く立ち現れてくるだろう。しかしこの国に蝉はいない。
私はもう、日本の夏を過ごすことはないかもしれない。
多くのことは「あれが最後だった」と、後になって気づくのだ。
人との対話や関係性も、それがいつまでも続くという保証はどこにもない。
「あの人の私は正直であれただろうか。愛を伝えられただろうか」
大人になるというのはそんなことを悔やみながら生きていくことなのかもしれないが、できることなら、「十分だった」と思いたい。
どんなにそう願っても、十分ということはないから、私は今日も明日も、生き、出会った人と対話を続けていくのだろう。
ここ数日、まだほんの数日間だが、目覚めるたびに世界が更新されている。
世界はもうとっくに準備はできていて、そこに私が自分を開くかどうかだったのだということを思う。
取り入れたもの、手渡していくもの。その質と量の双方がある一定のレベルに達するとこういうことが起こるのだろうか。同時に、それは決して私一人の意識や行動の結果ではなく見えざる手や見えざる計らいがあることも感じる。世界のどこかで、誰かが愛を向け、後押しをしてくれているのだ。
そうなると、またこれを世界に還していかないといけない。
私は今、絶え間ない贈与の流れの中に身を置いていて、その一部になることを決め、自分の人生を差し出している。
そんな感覚がある。
その始まりがいつかは分からない。
しかし、確実なのは、もうすでにずっと前から始まっていたということだ。
一年以上前に、誰もいない畑を一人耕し、願いを込めて蒔いた種が芽を出している。
「準備はできているか」
世界にそう問われているような気がしている。2020.6.20 Sat 10:07 Den Haag