714. 私たちは世界の中にあり、世界は私たちの中にある

 

吸い込む息とともに、鳥の声が身体の中に入ってきた。自分の囲まれている環境と自分自身というのはつながっていて、普段の心の状態や思考に大きく影響を与えているのだということを実感する。

人は、見えるもの、聞こえるものには意識が向きやすいが、見えないもの、聞こえないものには、無頓着になりやすい。自分が身を置く社会や共同体、人々の中に流れている慣習や心の声は、無意識のうちに心の中に流れ込んでくる。

それを自覚できているか。その中で浮かび上がる自分自身の声に耳を傾けることができているか。そんなことを思う。

昨夜は22時すぎ、やっと暗くなったかと思ったらバタバタと雨の音が聞こえてきた。どんどんと激しくなっていく。このところ雨が降らない日はないくらいだ。この気候も、オランダの農業を支えているのだろうか。

ふと、窓の外に目をやると、正面にある葡萄の蔓の茂みの中から、黒猫が顔を出している様子が見えた。両耳がピンとたち、目を見開いてキョロキョロしている。ほどなくしてまた、茂みの中に潜った。

庭にいる猫の愛らしさというのはいくら言葉にしても表現しきれないといつも思う。可愛いポイントを切りがあげればキリがないのだが、とにかく、その存在全体が愛らしくて仕方がないのだ。

雨の名残は今も庭中を包み、開け放った寝室の窓からは冷たい風が吹き込んでくる。

葡萄の蔓の先には、白い、花のようなものが見える。

この庭の美しさは、今この瞬間の時の中にあるとともに、流れ行く時間の中にあり、そのどちらを欠いても十分ではないだろう。

「全体」とは、大きな時の流れも含んだものなのだ。

人間も同じだろう。

「その人全体に目を向ける」

それは、今ここにある、見えるもの、見えないもの、測れるもの、測れないものに目を向けるだけでなく、その人が生きてきた大いなる時間と、これから生きていく大いなる時間、さらにはその人に影響を与えているものたちがつながりあう大いなる時間と宇宙に想いを馳せることなのだろう。2020.6.18 Thu 8:08 Den Haag