712. 朝の静けさの中で


心の平和への祈りの言葉を読みあげながら、ふと、「サマータイムが終わったら、今、9時から行なっている打ち合わせが8時からになるのか、はやいなあ」ということが浮かんできた。

一般的に考えればさほど早いということもないし、欧州在住のコーチでは日本時間に合わせてもっと早い時間からセッションを提供しているコーチもいるが、私にはこの朝の時間を静かに過ごすということがとても重要な取り組みとなっている。

心と意識の静けさと明晰さを1日保つには、この時間に自分と向き合うことが必要なのだ。ヨガをし、白湯を飲み、日記を書き、拭き掃除をし、掃除機をかけてそれでやっと1日が始まる。

それはお茶屋さんで働いていたときに、朝一番の仕事が掃除だったことに近い。一人、店中の拭き掃除などをする静かな時間が大好きで「おっしたくおっしたくー」と、口に出すこともあったくらいだ。

セッションは、まずは自分のつくる静けさの空間に人を招き入れる行為でもある。実際に人が来ようとも来ずとも、私の身を置く空間がととのっていることなくして、心のスペースをクリアに保つことはできないだろう。

それとも、もっと精神領域を整えられるようになったら周りがどんな状況でも心静かにいられるのだろうか。確かに、環境からの影響を受けずに心の状態を整えることはできるが、そうであっても、できることなら最大限に空間を整えることも自分の勤めであるように思う。

安心して心を開ける空間に身を置けてこそ、人は自分の心の中にも余白をつくりだし、そこで美しい音楽を奏でることができる。そう、音が響くには波が揺れるための空間が必要なのだ。ぎっちぎちに詰まった心身では本来持っている楽器の音を気持ちよく聞くことができない。

キイキイキイキイとするどい声がして顔を上げ、中庭を見ると、正面の木に黄緑色の鳥が留まっていることが分かる。枝の先で成っている実を啄ばんでいる。実は小さく見えるが実際にはピンポン球くらいの大きさがあるだろうか。

丸い実を器用に持ち上げているようにも見える。鳥には前足?はないはずだが、肩(羽の先)から手が生えているように思えるくらいだ。)

この庭にも、小さな自然の循環がある。

その中に人間は、私は身を置けているのだろうか。

オーナーのヤンさんが庭の木にぶらさげている鳥の餌の餌代の一部を家賃を通して払っているくらいだろうか。

この庭をただ静かに見守るだけであっても、さらにその外側にある大いなる自然とつながっていると思うと、日々の暮らしや食べ物、行いがそれらにどう影響を与えているかというのを考えずにはいられない。

廊下で物音がする。今日も塗装職人は機嫌良くペンキを塗るのだろう。

私も機嫌良く、目の前のひとやものと向き合いたい。2020.6.17 Wed 7:57 Den Haag


713. 日々の身なり、人との出会い

 

ほぼ同じようなリズムで鳴く、2種類の鳥の声が聞こえてくる。一つはしっかりと腹の据わったような声で、もう一つはそれよりも少しばかり音が高く浮ついた感じがある。

幼い鳥が親鳥の鳴き真似をしているのか、それとも、他の鳥の声を真似るのが上手な鳥が鳴いているのか。確か先日その名を知ったカケスという鳥は他の鳥の声を真似ると書いてあったはずだ。

今日の昼間に、書斎に置いてあったデスクチェアを寝室にある机の前に持って行ったのだが、そうすると書斎が随分すっきりとした。もともと、廊下の一角に作られたような3畳ほどもない小さなスペースだ。そこに、書棚と、小さな机、デスクチェアに加えてバランスボールを入れていたのだからなかなかの密度だったのだと今になって思う。

つくづく、物理的な空間としてのスペースと心の中のスペースがつながっているということを感じる。

あたたかくなり始めてからずっと、セッションやミーティングのある日は白いシャツを着ることにしているのだが、これもすこぶる調子が良い。最近は、夏用に買ったノースリーブで丈の長いパリッとしたシャツ生地のワンピースを気に入っていて、色違いの紺色のものかどちらかを選んでいる。

洋服が二択で、かつ選択基準は明確であるため、洋服選びに時間も手間もかからず、かつ着心地も良いので今の状態をとても気に入っている。それに、よそ行きに着ることのできる黒いワンピースがあるから、これから9月頃まではこの3着で事足りるのではないかという気がしている。

クローゼットの二つの棚を占めている畳んだ洋服たちを処分したら物理的にも心理的にもまた随分と身軽になるだろう。

先日、久しぶりに実家の母と話したときに母が私が実家に残しているコートとスーツの話を持ち出したので、迷わず、処分をして良いと伝えた。コートはもう随分と前に買ったもので、好みも変わっている。会社員のときにはスーツはそれなりに選んで、気に入った、多少こだわりのあるものを着ていたが、これからスーツが必要になることはほとんどないし、そんな場面が来たならなおさらくたびれたスーツではなく、そのときに本当に着たいものを着るなり借りるなりするのがいいだろう。「いつも持っていないといけないもの」は今の私にはもうほとんどないのだ。

それにしても白いシャツというのは本当に気持ちが良い。

着るだけで心が清められ、背筋もスッと伸びる。

リモートワークになって上半身はきちんとした服装をし、下半身はラフな服装をしている人もいるようだが、そもそもきちんとした服装をして外出する先もその機会もほとんどない私にとっては、オンラインで人と時間を共にするときというのは、たとえ顔を合わせなくとも、きちんとしていることが心地良い。(もちろん、そもそも身体を締め付けるような格好ではないので、いくらきちんとしたとしても楽なことに変わりはない。)

必要以上に着飾ること、化粧という名の、肌に負担をかけつつ守るという謎のサイクルを手放すこと、自分を癒すことが必要な仕事や働き方をしないこと。そんな風に暮らしていたら本当に必要なお金というのはそう多くはない。あとは少しでも野菜など自分で食べるものをつくることができたら、世の中の状況が大きく変わってもそれに驚かずに、静かな暮らしを続けることができるだろう。

そういば昨日、打ち合わせ前の発声練習を終えた後にトイレに行ったときに、廊下の天井のペンキを塗っていた職人に、「歌の練習をしていたのか」と声をかけられた。「あおうえい」から始まる50音の発声をし、枕草子の春と夏の歌を唱えていたのだが、言葉の意味が分からない人にとってはそれが歌に聞こえたらしい。一音一音、音を伸ばして発声していたというのもあるだろう。

「トラディショナルなジャパニーズのポエムである」ということを伝えると、職人は「そうだったのか。歌っているかと思った。自分はシンガーだ」と言った。「シンガー」とは、「歌手」という意味で訳していいのだろうか、それとも「歌が好きな人」のようなニュアンスなのだろうか。「どんな種類の音楽なのか」と聞くと、「ロックだ」と言う。どうりで、朝からロックがかかっていたわけだ。

オランダの人はたとえ仕事中でも「わたし」がそこにいて、「わたし」を以って話しかけてくる。私はそれがたまらなく好きだ。生きた「わたし」が「あなた」に出会ったということ。結局伝えたいのはそんなシンプルなことなのだと思う。2020.6.17 Wed 20:49 Den Haag