698. 美しい鳥の訪れる庭を眺めて

バルコニーに出てしばらくすると、左の頬を冷たい空気が通り抜けた。どうやら風は微かに、東から西に吹いているようだ。

梨の木には鮮やかな黄緑色の鳥とふわりとした茶色に青色の羽を持った鳥が止まっている。

調べてみるとそれは「カケス」という名前の鳥だということが分かる。ヨーロッパやアジアの森林に生息すると書いてある。この中庭は森林に近い環境ということだろうか。他の鳥の声の真似が上手いという情報もある。本当だろうか。

今日は久しぶりに夢の感覚が残っているが、記憶はかなり薄れている。思い返せば夢が感覚として残っているときは、登場人物が多かったときのように思う。人とコミュニケーションを取ったエネルギーの抜け殻のようなものが身体に残るのだろうか。

今、私の現実には生身の人間がほぼ登場しない。企業との協働やコーチングセッションを通じて人との関わりは持つ機会があるし、コーチングセッションの場合、ある意味その関わりは深い。しかしそこには人間関係というのはほぼ存在しない。私はクライアントが自己探究を行うことを後押しする鏡のような存在であって、そこに安心感や信頼関係は必要だが、人間関係というものは存在する必要はないと思っている。クライアントの可能性を信じ、見守る、自然のような存在でありたい。それが私の願いだ。

私が物理的な身体のある存在として出会っているのは買い物に行く先の店員たちくらいだろうか。そこに日本の、店員と客のようなかしこまった線引きはないが、人間関係があるかというとそうではない。

ここ数ヶ月の世界の騒がしさの中、「結局のところ、自分の世界に生きているのは自分だけだったのだ」と、自分自身が宇宙の孤独な旅人であることを実感したが、そこに寂しさがあるかというとそうでもない。孤独な旅人だと実感したときは多少の寂しさがあったようにも思う。しかし、そうなのだと気づいた後は、そうなのだと、ただ受け入れている。

インターネットの空間を通じてつながりがある人たちは僅かながらいて、その関係に勇気づけられることも多いけれど、たとえそれがなくなったとしても生きていくことはできるだろう。

それでもさすがに、庭に来る鳥たちがいなくなったら寂しいと思うだろうか。きっとそうだろう。せめてこの木々や草花とはともにありたい。そしてそこに息づく生態系が豊かなものであってほしいと思う。

そう思うと、人間は、その中から飛び出してしまっているようにも思う。もっと優しく、もっと静かに、もっとひっそりと、自然のそばにいることはできないだろうか。

それでも、もしかすると大きな目で見ると、人間もやはり大きな自然の生態系と循環の一部になっているに違いない。自然と自分たちを切り離す意識そのものが、自然との距離を作り出しているのだろう。

雲の切れ間が少しずつ明るくなってきた。今日もここに生まれた時間と光に感謝して、小さな自分と大いなる世界とのつながりを味わいたい。2020.6.8 Mon 7:26 Den Haag