689. あたらしい月のはじまりの日に


クローゼットを開き、紺色のシャツ生地のワンピースをハンガーから外した。2週間ほど前、久しぶりに足を運んだハーグの中心部にある洋服屋で選んだものだ。持っている洋服の数はさほど多くなく、この間の冬は新しい服を一つも購入しなかったくらいだが、一つだけ、定期的に送られてくるメールマガジンをチェックしている店がある。去年の夏、シンプルながら少しだけ個性的にデザインされたワンピースを購入した店だ。

ノースリーブだが、足首より少し上まで丈があり。裾には丸くスリットが入っている。パリッとした生地を纏うと、背筋が伸びる。

今日はミーティングやセッションの予定を入れない休養日としているが、6月の始まりの日ということで、この1ヶ月のことを振り返るとともに、家の中、身体の中、そして心を整える1日にしたい。

せっかくなので、振り返りをこのリフレクションジャーナルを通じて言葉にしていきたいが、今は、まだ「ととのっている」とは言い切れていない家の中が気になっている。散らかっているわけではないが、まだ洗っていない鍋などがシンクの中にある。拭き掃除もしたい。

そして何より今日は、新しいパスポートを取りに行きたいのだ。

パスポートの期限がすでに切れていることに気づいた4月の始めからちょうど2ヶ月。その間、私の中には無意識の「未完了」が存在していたということになる。この件が完了すると、向こう10年はパスポートのことに悩まされなくて良いということになる。

この2週間、日本大使館を2度訪れた。その際は近くまで自転車で行って、大使館が並ぶ駐輪禁止のエリアだけ徒歩で行ったが、今日は散歩がてら歩いて行くのもいい。風の吹き込まない中庭はもう初夏の暑さだ。外はもう少し体感温度が低いだろうけれど、久しぶりに、ハーグの街の中でも特にゆったりと敷地を取ってある伝統的かつ落ち着いた住宅街の空気を味わいたい。

この3ヶ月ほど(冬の間の引きこもりを含めるともっと長い期間だろうか)、そんな風に散歩をすること、外の空気や景色を味わうことをしてこなかった。心と身体はどんなことを感じるだろう。どんな景色が見えるだろう。初めて訪れる街を歩くように、楽しみな気持ちが膨らんでいる。

まずは家の中を片付け、拭き掃除をし、日焼け止めを塗って出かけよう。新しい月、また新しいステージが始まる予感がしている。2020.6.1 Mon 9:50 Den Haag

689. 今日は祝日だった

広々とした住宅街の中を歩き、日本大使館に着くと、入り口に「closed」という貼り紙が貼ってあった。しかし、セキュリティチェックのための窓口には人の気配がある。首を伸ばし、中を覗き込むと、中にいた男性が気づき、建物の外に出てきてくれた。

今日は休みなのかと聞くとそうだと言う。しかもHolidayだと言う。

どうりで来る途中、何度か家々の外側に国旗が掲げられている様子が見えたわけだ。思い返せば家を出たときに、隣の保育所に人の姿がなく不思議に思ったことを思い出す。途中に通り過ぎた商店街もそうだ。平日にしては閉まっている店が多く、「月曜は休みにしているところが多いのかな」などと思っていたが、休日のために閉じていた店もあったのだろう。

毎度のことながら、目の前のことを「ああそうだなあ」とただ眺めるのはいいが、「もしかしたら」ともう少し思考を働かせてもいいのではと自分に言いたくなる。これがまだ徒歩30分もかからない気持ちの良い道のりだったから良かったものの、もっと時間も手間もかかる場所にせっかくやってきてそこが閉まっていたらどれだけガッカリするだろうか。それともそういう場所に行くときはちゃんと開いているかなどを調べていくだろうか。

今日はどういう祝日なのだろうと思って帰ってきて調べてみると「ウイットマンデー」という見慣れも耳慣れもしない言葉に出会う。イエスキリストが天に昇ったのち、120人の弟子のうえに聖霊が降臨したことを祝う日だということだ。

と、こうして書いたところで全く持ってピンと来ない。中高の6年間をキリスト教の学校で過ごし、毎朝礼拝をし、牧師さんの話を聞き、そして週に1度は聖書の時間というものがあったが、それでもイースターでさえ、ピンと来ないのだ。聖霊とは一体何ぞや。

宗教色を感じないこの国だが、祝日の多くはキリスト教にちなんだものだということに驚く。また、ナチスドイツから解放された55日の解放記念日は5年に1回祝日になるという。閏年のように数年に1回やってくる祝日があるということは驚きである。そして、今日の次の祝日は1225日のクリスマス。向こう半年間は祝日がないまっさらなカレンダーを見てさらに愕然とする。

一体なぜ私は、わざわざ今日という日に大使館に出かけたのだろうか。明日以降であれば、平日であればいつでも大使館が開いていたはずなのに。である。

そんなことに特別な意味やメッセージを求めたくなるが、事実はそれ以上でもそれ以下でもない。ただそうだったというだけだ。そこに何か教訓めいたものがあるとすると、「思ったように物事が進まなくてもただそれを受け入れよ」ということだろうか。3年間の海外生活でおなじみとなった出来事であり、3年前とは随分と自分自身が変化したところでもある。物事も人間も、機械のように決まったプログラムで動いているわけではない。「予定通りに進む」という慣習から抜け出ると、心も随分と軽やかになる。

今日は天気が良くて、散歩日和だった。大使館に行かずとも、散歩に出かけただろう。頼まれなくても一人で勝手にやってしまうことを仕事にするのと同じように、身体が心が必要とする中で行動をしていくまでだ。

庭の棚に茂った葡萄の蔓に目をこらすと、マッチ棒より細いくらいの、透き通りそうな青い線がゆらゆらと動いている。調べてみると、イトトンボの仲間のようだ。

植物や動物のエネルギーが、その目に見える輪郭をはみ出して踊っている。

解放。そんな言葉が思い浮かぶ。

そういえば今日は、自転車でビーチの方角に向かう人を多く見かけた。浮き輪を持っている人たちもいた。

私もどこか自然の中で、身体を大きく広げたい。そんな欲求が湧いてきている。2020.6.1 Mon 15:48 Den Haag