684. 盛り上がりの意味するもの

ゆっくりと、世界が変化している。それは自分自身の「世界を見つめる視点」が変化していることによるだろう。

そんなことがふとわいてきた。

開け放った寝室の窓から入ってくるひんやりとした空気が、小さな書斎にも流れ込む。鳥の声、車の音、金属音のようなもの。珍しくサイレンの音も聞こえる。これは救急車だろうか。私の身体はまだ、この音を思考を通さずに捉えることができない。

昨日の夕方はインテグラルヨーロピアンカンファレンスに参加した。昨日を含め、4日間、オンライン上で様々なスピーカーによる講演やワークショップなどが開催される。そしてそれを日本で、そのカンファレンスを同時通訳してくださるという取り組みが立ち上がっている。日本では深夜にあたる時刻に開催されるが、このような機会をつくってもらったことにとても感謝を感じるとともに、日本でのインテグラル理論に関する注目が高まっていることを感じている。

そんな中、それに対して少し疑いの目を向けている自分もいる。

主に30代以上の女性を中心とした「ライフスタイル」の世界では、毎年様々な流行が出てくる。ある年は断捨離が流行り、ある年はパリジェンヌの暮らしが流行り、ある年はニューヨークの女性のライフスタイルが取り上げられる。

それは一見、女性たちのライフスタイルを豊かなものにするように見えて、結局のところ流行という終わりなき消費の流れに絡め取られているのだ。女性たちは「理想のライフスタイル」を実現することにいつまで忙しい。それがいつまでも続いていく。

日本における人材育成のメソッドについても同様のことが起こっている。次々と新しい考え方が紹介され、それをもとに新たな手法が開発される。それが商業化され、大衆化されていく。そして多くの人がその根底にある哲学や本質にたどり着かないまま、消費されていく。数年前にマインドフルネスが流行したのもそれに近いだろう。これが資本主義社会における「自然な出来事」であり、限界なのだろうか。

インテグラル理論に対する注目についても、同様の兆しがあるのではないかと感じている。他の理論からのスライドであり、消費であり、盲目的な信奉。それさえも自然なことだという考え方をインテグラル理論が含んでいるというのは、皮肉なことのようにも思える。

これは自分自身への警鐘である。理論を学び、理解という停止に陥っていないか。体験をもって実感し、自分の地肉言葉とすることができているか。批判的な目と、さらにそれを超越する目を持つことができているか。身体感覚を感じ、それと結びついた思考ができる身体と脳の状態を保つことができているか。

とあるものについて正しいと思う自分がいたならば、それを正しいと思う自分は、どのような経験と価値観と美意識と欲求のもとそう思っているかに冷静な目を向け続けたい。2020.5.28 Thr 8:38 Den Haag

685. 世界のどこに身を置くか

今日も暮れない1日が暮れようとしている。

あんなにも日が長くなることを心待ちにしていたのに、いざそのときがやってくるとあっという間に慣れてしまう。それはなんだか味気ないことのようにも思える一方で、「過去に自分が抱いていた希望ではなく、今の自分自身で感じている」とも言えるだろうか。

今この瞬間に、眼の疲労を感じている。これは久しぶりの感覚だ。パソコンを見ている時間そのものが劇的に増えたというわけではない。しかし、ここ数日間(と言っても昨日からまだ二日目か)パソコンの画面を通して膨大な人の顔を見ている。これは眼にも、脳にも、かなりの負荷をかけているのだろう。今まで情報はたくさんあったものの、人との関わりについては限られた交通量しかなかったところに、あまりにたくさんの交通が流れ込んできている。そんな感じだ。リアルが、オンラインに流れ込んでいる。

これが「アフターコロナ」であるとすると、その中で自分はどこに身を置くかということを今後検討していく必要があるだろう。

多くの人が身を置くのと同じ場所に身を置いて、同じ世界観を共有することよりも「当たり前」の外側に身を置くことが、心が望むことであり、私自身が提供する価値でもあるのだ。

「そうだよね」などと、人に共感できないところに身を置いているからこそ、深く向き合うことができるのだと思っている。

なんてことを考えている私は多少疲れているのだろうか。確かに頭と眼は大いに疲れている。

現在、瞬間的にだが同時に3つの取り組みに参加しているということもあるだろう。そのうち1つであるインテグラルヨーロピアンカンファレンスは日曜まで、残り3日間なのでそう長く続くわけではない。

しかしながら、参加している講座およびカンファレンスが全て英語で実施されているということもあり、それを噛み砕いて理解し、経験として咀嚼するのにかなりの時間とエネルギーを要している。正直なところ消化不良だ。

様々なことにオンラインで参加できるようになったのはいいことではあるが、このペースで参加をし続けたら、あっという間に思考が頭をいっぱいにし、感覚が閉じてしまうだろう。

どれも深く学びたい、向き合いたい、体験し、地肉としたいと思うからこそ、ゆっくりと取り組みたい。

そう、体験を養分として吸収していくには時間が必要なのだ。

オンラインという場では時間や空間のスペースが感じづらい。あっという間にスペースがなくなってしまう。

今は「移動時間がなくなって良かった」と思っている人たちも、埋まっていくスペースに無頓着なまま活動を続けたらいずれ、「移動時間があるリアルの方が良かった」ということになるだろう。

少なくとも私には大いなるスペースが必要だ。

自分にとって適切なスペースを確保することが、クライアントや社会に対して価値を還元することにつながるのではと思っている。

しかしながら今はいつもより疲れが大きいため、十分な休息を取った後、この考えや感覚がどう変化するかを改めて検証したい。2020.5.28 Thu 20:08 Den Haag