683. 聞こえなくなったことで気づくこと

それは確かに、突然起こった。

真夜中、左耳の聞こえが悪くなった。「聞こえが悪くなっていることに気づいた」のではなく、あたかも今、聞こえづらくなったかのように、「あ」と、ほぼその瞬間に気づいたのだと思う。

何かが明確に聞こえていたわけではない。しかし、休んでいるように思える両耳でも、確かにいつも音を捉え、その情報を脳に送っていたのだ。私が気づいたのは、聞こえたなくなったという現象そのものよりも「送られてくるデータがなくなった」という受信側の話なのかもしれない。

耳の中に意識を向け、鼓膜と思われる部分を動かしてみる。右耳の中からは何かが動く音が聞こえるが、左耳の中から聞こえる音は小さい。全く聞こえていないわけではない。片耳ずつ手で塞ぎ、声を出してみる。やはり左右で聞こえ方が大きく違う。左耳を下にすると、少しだが、痛みも感じる。

枕元に置いたスマートフォンに手を伸ばし、耳の聞こえについて調べてみる。急性難聴という言葉に出会う。「いつ聞こえなくなったか明確に分かる人が多い」と書いてある。症状としては近いだろうか。できるだけ早く病院に行かないと症状が改善されないまま残ってしまう可能性があるといったことが書いてある。

オランダに来てまだ歯医者以外の病院に行ったことがない。オランダは家庭医を登録する制度になっており、何かあればまずはその家庭医のところに行くことになっている。オランダでは家族単位で家庭医の登録をしているらしく、家庭医の登録をしようとしたときも、すでに家族が登録しているか、家庭医の周辺の住所に住んでいる人しか登録ができないなどの制限があり、登録できる家庭医を見つけるのに苦労をした。ようやく見つけた近くの比較的大きい病院に登録をしたが、果たして本当に登録ができているのか定かではない。

日本の治療方針では、病院に行ったとしてもステロイドの薬を処方されるようで、それは私の身体が望むことではないだろうと感じる。オランダでは薬の処方をなかなかされないというが、この症状に対してどんな処置をするのだろう。できれば自然治癒力を高めることで回復を図りたい。

と言っても、今の時点で何か困っているわけではない。全く聞こえないわけではないし、おそらくセッション等にも大きな支障はないだろう。もしかすると、左右の耳から入ってくる情報のバランスが変わったことによってそれに適応するまでの間、脳がエネルギーを使い、それによって頭痛や倦怠感などの症状が出てくるかもしれない。それは適応のプロセスとも言える。

支障はないが、今「聞こえる」ということがとても貴重なことに思えている。もし仮に耳が聞こえなくなったとしたら、大切な人たちの声をもう一度聞きたいと思うだろう。中庭で鳴く鳥の声を聞きたいと思うだろう。

今当たり前にできていることはどれも、とても貴重なことなのだ。

私は幼稚園に通っていた頃、中耳炎で耳が聞こえなくなったことがあるらしい。自覚はないが、母の話によると、私が返事をしなくて何度か怒り、異変に気づいたそうだ。そのときのことを母は申し訳なく思っているようだったが、聞こえなかった私としては記憶にさえ残っていない。

自分には何ができていて、何ができていないのか。他者はどうなのか。それを全て知ることは難しい。私たちにできるのは、他者を自分とは違う生き物として向き合うこと。自分の当たり前が相手にとってそうではないのだと知り続けること。

今は耳の聞こえが悪いことをギフトだと感じている。これまで以上に、静かに耳を傾けなさいという知らせかもしれない。2020.5.27 Wed 8:27 Den Haag

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