679. やわらかさとかたさ

パソコンの画面の中で、いくつものウィンドウが開いていた。昨晩の私はこんな頭の状態でベッドに入ったようだ。どうりですぐに眠りにつけなかったわけだ。

中庭には、喉元と足先の白い黒猫が姿を見せていた。もうあの猫は、「いつもの猫」ではない。何せ、2年近く眺めてきたこの庭に、「喉元と足先の白い黒猫」が2匹いることを知ってしまったのだ。「いつもの猫だなあ」などと思って、いつも違う猫を眺めていたのかもしれないと思うと、自分は一体何を眺めていたのだという気になる。もしかしたら、何匹も「喉元と足先の白い黒猫」がいるかもしれない。よく目にする「小柄な黒猫」も同じだ。

毎度初めての庭に迷い込んだかのような様子の猫たちと同じように、新鮮にその姿を眺めたい。「いつもの」と思っていても、彼らの思考回路はいまだに全く分からない。人間にもそうやって「わからない」と思って向き合い続けたい。

最近、40代以降の、「自分自身との向き合い方」について考えている。自分が間も無く40代になることもあるが、それ以上に、クライアントのほぼ全員が40代以上であるということにも関係しているのだろう。時折、30代の人が体験セッションを希望する場合もあるが、30代以前の持つ悩みや課題と、40代以降のそれは明らかに質が違うという風に感じる。(必ずしも年齢で分けられるものではないが、今はあえて30代以前と、40代以降と表現することにする)

それは、言葉や思考の質感にもつながるところがある。30代以前は、言葉も思考も柔らかい。しかしそれは「柔軟である」という意味とは違う。芯や拠り所のない柔らかさと言ったらいいだろうか。

私は自分がちょうど時代の変わり目の世代なのではないかと感じている。働き方や生き方について、自分より若い世代は様々な選択肢を持てるという前提の中に生きている。一見そこでは、人が自由にのびのびとやっていられるように思える。しかし現実はそうとも言えない。「これでいいのだろうか」不安があり、正しい答えがどこかにあるのではないかと自分の外側を探す。

確かに自分自身も20代から30代の前半にかけてはそうだったように思う。成功や幸せの基準は、誰かが唱えているものだったり、社会の中に刷り込まれているものだった。

それに比べると今は基準自体がかなり多様になっているように思う。しかしその中で人はむしろ右往左往しているのだ。これは、「多様性を認める社会」になりつつあるが故に起こっていることなのだろうか。型にはめられることは、それが過剰であると苦しみをもたらす場合もあるが、型にはまらずして型を超越し、自分自身の基準を獲得するということもないのではないか。その点に関して、オランダのように小さい頃から多様性とその中での自らの選択を重んじている国で育った人たちがどのような意識の成長を経ていくのかというのは興味深い。

一方で、40代以上の人たちというのは、言葉に芯がある。その質感はそれぞれだが、積み重ねられた経験に裏打ちされた、独特の厚みのようなものだ。それがときに硬さとなって自分自身の限界を作り出すこともあるが、それを超えていく、力も同時に備えているように思う。(そもそも「今の自分から動きたくない」という人はコーチングを活用しようと思わないのだろう。)

こうして考えてみると、30代以前と40代以降の言葉の質感は単に積み重ねてきた経験の年月の違いということになるのだろうか。そういう部分もあるだろうし、やはりそこには生きてきた時代の背景のようなものも刷り込まれているように思う。

自分自身のコーチングで言えば、ある程度、芯や硬さがある人に対して、より、その人が持っている力を発揮することを後押しできるのではと思っている。自分自身の提供するコーチングのイメージはクラニオセイクラルにも近い。クラニオセイクラルは筋肉や骨に直接圧をかけたり働きかけたりするのではなく、脳脊髄液の循環をよくすることによって自然治癒力を高めていく自然療法だ。

流れが良くなり、こわばっているものがゆるんでいけば、持っている力は自然と発揮されていく。それはこれまでの対話の体験から実感していることだ。ゆるんでいき、さらにゆらぎのようなものが起こると、意識の領域が広がっていく。そんなことを感じている。

それが、もともとやわらかさのある相手だと、どこか勝手が違うのだ。「硬さを超えたやわらかさ」の場合は、循環が促進されて溢れ出すように生まれてくるものがある。一方で、硬さを通過していないやわらかさの場合は、するするとただ、流れ続けるという感覚なのだ。何かもっと栄養そのものが必要なような、そんなイメージが今湧いてきた。そんな状況に対して、私は何には何ができるのだろうか。そこに対する明確な解はまだない。それは、私自身のさらなる成長に伴って見えてくるのかもしれない。

ひとまず今は、「多様性」以前の時代を生き抜いてきた旅人たちが、ゆるんでひらいていく、そんなことに静かに向き合っていたいと思うし、この感覚はまだ当分続くのではないかと思っている。2020.5.24 Sun 9:52 Den Haag