675. 遅れてやってきた贈り物
悲しい夢を見た。
夢の中で、老齢の母(現在とほぼ同じ)が、引っ越しをするためにと荷物の整理をしていた。その中で捨てるものを選別していたのだろう。実家にやってきていた妹と私が「あなたたちに言っておかないといけないことがある」と母に呼ばれた。「あなたたちが選んで人にあげたものが、他の人たちに迷惑をかけてはいけないから」と。
そして母は、天然石のついた携帯ストラップを取り出した。それは私が実際に中学生頃に母にあげたものだ。母は長らくそのストラップを携帯につけていてくれて、私はてっきり母が気に入ってくれているものと思っていた。
母は言った。
「こんなものをもらっても困るのよね」
私はとても悲しい気持ちになって、それでも言葉を絞り出した。
「それは私が、お母さんに喜んでほしいと思って、お小遣いを使って買った、自分なりの精一杯の贈り物だった」
そんなことを何度か言葉にしている途中で目が覚めた。
これは昨日、「贈与」に関する本を読んだことに関係しているだろう。物そのものに価値があるのではなく、人がそれを「贈る」という行為そのものに価値がある。贈与と交換は違う。まだ読み始めたところだがそんな話だったと思う。
幼い私は、母にそのストラップを「贈った」つもりだった。
しかしそれを母は「物」として受け取っていた。
それが悲しかった。
実際のところ母は驚くほど物持ちが良くて、あげたものは、「まだ持っていたのか」というくらいずーっと持っていたり使っていたりする。私自身も中学生のときに母にもらったちょっとしたものを今でも使っていたりする。
生活のため、学ぶために必要なものが足りなかったということはなかったが、我が家は物を必要以上に買い与えられるということもなかった。(その代わり、両親はいつも「本は財産」と言っていて、子どもの友などの本には出費を惜しまなかった。)
そのときは分からなかったが、わずかな時間仕事をしていた母にとって、贈り物として子どもに何かを選ぶというのは特別な行為だったのではないだろうか。
親子の関係においては、何の躊躇もなく喜んで贈り物を受け取ってきた。
しかし、他の関係、他の人からはどうだろう。相手が贈り物として差し出してくれたものを、ただの「物」としてみるような、そんな受け取り方をしていることがあるのかもしれない。
あんなに悲しい気持ちは、できればもう味わいたくないものだ。2020.5.21 Den Haag
676. 戻ってきた日常
一体世界には何が起こっていたのだろう。
ハーグの中心部に近くほどに、この数ヶ月過ごしていた時間が夢だったのかもしれないという感覚が強くなった。
強い日差しの中、人々が自転車を漕ぐ。広場にはいくつかのバンが停まり、オランダ名物のおつまみなどを売っている。運河を小さなボートが進んでいく。
懐かしくて、大好きな風景がそこにある。
人々は微笑み合い、挨拶を交わす。並んで歩くカップル。立ち話をする人たち。
これまで通りの日常がそこにある。
ハーグはオランダでは行政上の首都と言われ、オランダの中では観光客も比較的多い街だ。それでも人口は45万人ほど。日本の地方中核都市よりも少ないくらいだ。
中心部のよっぽど混み合ったところでない限り人が密集することはない。何となく人と人との距離は保たれているように見えるが、そう思って見なければその距離感は以前とさほど変わらない。
レストランやカフェ、そして物販店舗の一部が閉まっていることを除いて、今「何かが起こっていること」を感じられるものは見当たらない。マスクをしている人はちらほらといる。しかし、日本でマスクを見慣れている私にとってはそれは特段大きな違和感ではない。
中心部に近くほどに人が増える。
街はこんなにも賑わっていたのか。
むしろ、数ヶ月前の平日よりは格段に人が多いくらいだ。
わざわざ中心部を訪れたのは、パスポートのための写真を撮るためだった。先日自宅で撮影と印刷を行った写真を日本大使館に持って行ったら「写真が粗い」との指摘を受けた。確かに粗い。
しかし残念ながら我が家の近くには、写真撮影のできるボックスなどというものは存在せず(日本は大きなスーパーの前には写真機があったりする。何て便利なんだろう。)、どうやら市役所には写真機があるらしいという情報をインターネットで仕入れ市役所に向かった。
しかし残念ながら市役所は閉まっていた。「大きな駅なら写真機があるのでは」と、かすかな期待を胸に、市役所から歩いて5分ほどのところにあるハーグ中央駅に向かう。スーパーの前には入場制限のため、人の列ができている。なるほど、お店の中に入れる人数が限られているため、余計に外に出ている人が多く見えるのかもしれない。
それにしてもここには世界中から観光客が訪れているのではないかというくらい様々な外見の人たちがいる。今オランダはまだEU外からの入国制限があるはずだ。なのにどうしてこんなに、アジア系の人もいればアフリカ系の人もいるのだろう。
そんなことが頭をよぎったが、ほどなくして「オランダにはそれだけ様々な国の人が暮らしているのだ」という考えがやってきた。アムステルダムには国連加盟国ほぼ全てとい言っていいくらいの国の人々が住民登録をしているというが、ハーグもアムステルダムほどではないもののかなり国の人が暮らしているはずだ。私がオランダで出会った数少ない「オランダ人」でも、「3世代前からオランダに住んでいる」という人はまだいない。(尋ねたことはないが、この家のオーナーのヤンさんくらいだろうか。)
国境をまたいでの移動ができなくても、こんなにも多種多様な人がいるというのは本当に驚きである。
街中は賑わっていたが、ハーグ中央駅はいつもよりずっと人が少ない。長距離電車は減便しているのだろう。駅の中央に置かれたピアノのフタが閉まっていて、それが寂しい感覚をさらに後押しする。
果たしてここに写真機はあるのだろうか。そう思いながら、入ってきたのとは反対側の入り口にたどり着きそうになる。入り口の脇のテーブルとベンチには人が座れないようにビニールテープが巻きつけてある。
やっぱりなかったか。そう思ってベンチの脇を引き返そうとすると、いくつかあるベンチの奥にボックスが見える。そこにはテープが巻かれていない。
あった!数年ぶりに会う人との出会いのように、嬉しい気持ちがこみ上げてくる。今まで全く気づいていなかったけど、こんなところにひっそりと佇んでいたのか。と、愛おしい気持ちさえ湧いてくる。
ボックスに入り、画面を操作し、カードで支払いをし、撮影をする。往生際悪く3回の撮影回数を使い切るも、お世辞にも満足なものとは言えない。が、仕方がない。普段はよっぽどキメ顔をして鏡を見ているということだ。締まらない表情の映った写真を取り出し、何度か眺め、諦めてカバンにしまう。
来た道を戻り、中心部のフライドポテト屋に向かう。中心部に来るといつも訪れていた店だ。
店にはいつものお兄さんとお姉さんがいる。向こうは毎日数百人の相手をしているから分からないかもしれないが、私にとってはおなじみの二人だ。「久しぶり!元気だった!?」と言いたくなる。
ポテトを注文するも、いつもかけていたソースの名前を覚えていないことに気づく。ソースの名前を忘れたというとお兄さんが一本のポテトに3種類のソースをつけて渡してくれる。そうそう、このソースだ。「ヨッピーソース」という、口に出すだけで楽しい気持ちになるソースの名前を告げると、あっという間にポテトが盛られ、ソースがかけられる。「Enjoy!」そう言って手渡されたポテトを持って店の外に出て、道路脇でつまむ。
ポテトを食べている間、何組かの人たちがポテトを買いに店に入っては出て行った。店の中にいる二人の歌声が聞こえる。そう、この店ではいつもスタッフが歌っているのだ。昨年も一昨年も、クリスマスの時期には歌を歌いに来る人たちがいて、スタッフとともに大合唱になっていた。ポテトが美味しいのはもちろんのことだが、楽しく働くスタッフの人たちが好きで私はこの店に足を運んでいた。
この店はこの2ヶ月間、どんな様子だったのだろうか。先週の月曜日から学校が再開され、我が家の前の道路の車の往来も随分増えたが、その前は毎日がとても静かだった。テイクアウトの店は営業を続けることができたはずだが、きっと訪れる人は少なかっただろう。そんな中でも二人は歌い続けていたのだろうか。
ポテトを食べ終え、賑わう中心部を通り抜け、開けた通りに出て運河沿いを歩く。自転車が行き交う。犬を散歩させている人がいる。目が合うと、にっこりと笑い、挨拶を交わす。
ああ、私はやっぱりこの街と、この街に暮らす人たち、この街に暮らす人たちの持つ空気感が大好きなのだ。
これまで何度も感じてきた感覚を、懐かしくも新鮮に味わう。気持ちの良い家での静かな日々の暮らしも好きだが、外に出たときのこの風通しの良さのようなものが大好きで私はオランダという国にいるのだ。久しぶりにその感覚を感じ、それによって、久しくその感覚を感じていなかったことに気づく。
この街の人々のように、5月以降の晴れた日にはこぞって自転車で海に向かい、気持ちの良い午後には庭でバーベキューをし、ときには運河を小舟で進み、ボートハウスのデッキで読書をしたい。一見贅沢に聞こえるかもしれないけれど、本当に大切なことだけを大切にすれば、普通の暮らしの中でこんなことができるのだ。
自然のリズムとともにくらし、心身を世界に開いたなら、そこでまたどんな創造が生まれるだろう。
私の中にようやく春がやってきて、そして足早に、初夏が訪れようとしている。2020.5.21 Wed 20:42 Den Haag