672. 猫が教える「世界の秘密」

 

バルコニーに出ると、庭に黒猫の姿が見えた。と言っても、これまで見たことがある黒猫ではない。毛が長く、ふわふわとしている。しゃなりしゃなりと、優雅に歩く。これまでこの庭で見かける猫には見たことがない優雅な身のこなしだ。

それでも力強く地面を蹴って、隣の家との間にある木製の塀を登る。そしてまたしゃなりしゃなりとガーデンハウスの屋根の上を歩く。

にゃあと呼びかけてみると、立ち止まり、こちらを向き、にゃあと声を返してくる。それだけでなくにゃあにゃあと声を上げ続ける。

珍しい。

この中庭ではおそらく5,6匹の猫の姿を見かけ、ことあるごとににゃあと声をかけてきたが、それに返事が返ってきたのは数えるほどもなかったはずだ。

それが、ふわふわの黒猫は、歩きながらにゃあにゃあと声を上げ続ける。

チャンスである。

このままこのベランダまで猫がやってきて、ふわふわの猫を撫でることができるかもしれない。中庭で遊ぶ猫と戯れることを何度夢見ただろう。

声を上げるのをやめてガーデンハウスの上をそのまままっすぐ通り過ぎようとする猫を呼び止めようと、再びにゃあと声をかけてみる。すると、猫はにゃあにゃあと声を上げ、こちらに向かってくる。

ふと顔を上げると、左斜め向かいの家の3階のバルコニーに白地にブチの柄の猫がいるのが見える。ふわふわの黒猫もきっとあの家に住んでいるのだろう。

そしてまたふと中庭に目をやると庭の池のフチを別の黒猫が歩いているのが見える。顔は見えないが、チラチラと白い足先が見える。ああ、あれは、喉元から胸にかけて、そして足先が白いよく見かける猫だなと思ってしばし見つめる。


しばらくして顔を上げると、斜め向かいの家のバルコニーに少年の姿が見える。どうやらあの家に住んでいるらしい。目が合うと、にっこり微笑んだように見える。


と、少年の足元にもう一匹、黒猫が現れる。喉元と足先が白い。

あれ!?今、庭の池をぺろぺろやっている猫と同じ柄ではないか。ということはあの柄の猫は二匹いたのか。そして私はこれまで、2年近く、週に数回は目にする白い柄の入った黒猫をいつも同じ猫だとばかり思ってきた。同じ柄の猫が二匹いるだなんて夢にも思わなかった。

当たり前に見ていた世界がまた、ひっくり返る。

いつも「同じだ」と思っているものが、本当に同じとは限らない。

似たような違うものがいくつも存在しているかもしれないし、ミラーワールドのような世界が存在しているかもしれない。

そもそも生物の細胞は絶えず入れ替わっている。脳の細胞だって数ヶ月で入れ替わる。今日目覚めた瞬間に「知っているもの」なんて、この世には何一つないのだ。

それなのになぜ、人間には記憶があるのだろうか。記憶は確かに便利だ。眼に映るもの、出会う人をいちいち「新しいもの」として認識していたらその情報処理にものすごくエネルギーを使うだろう。出会う人と毎回「はじめまして」とやっているわけにはいかない。

記憶があるからこそ、ものごとを処理するための時間やエネルギーを少なく抑えることができる。ではその分できた時間やエネルギーは何のためにあるのだろう。

「見ている」と思っているものの80%は記憶から処理されているというが、では残り20%は、何のために残されているのだろう。

それは、世界を新鮮な目で見つめるためなのではないか。

100%の力でそれをすると、毎日は疲労と混乱に包まれてしまうかもしれない。(そうではない世界もあるように思うのだが。)

人間が合理的に社会生活を送るためには、記憶によって、自分たちの生活を半ば自動化していくことが必要だったのではないか。

しかし記憶が全てにならなかったのは、私たちには記憶を通さずに見るべき世界があるからなのではないだろうか。

それが今、日々を自動運転の中で過ごすことは簡単で(むしろ都会で苦痛や不快感を感じないためには自動運転がちょうどいい)、感じること、生きることを忘れてしまった人が増えているのではないか。

評価的・論理的に物事を見ることはできても、そこにある自分の体験を捕まえ、自分の言葉で表現することができない人が増えているのではないだろうか。

自動運転をやめ、世界を新鮮な目で見つめなおしたとき、自分自身の命も輝き出すのだということを、二匹のそっくりな猫を思い出しながら感じている。2020.5.20 Wed 8:26 Den Haag

 

673. 伝えるための言葉と探究のための言葉

 

小さな書斎の小さな机の前に座ると、心が静かになっていくことを感じた。この場所に来るともうすっかり、自分自身がセットされる習慣ができている。

何を書こうと心に決めていたわけではないが、ふと「伝えるための言葉と内省的な探究を行うための言葉は違う」という考えが思い浮かんできた。

人は成長するうちにどこかで相手にとっての理解や相手からの評価を気にして言葉を生み出す癖がつくのだろうか。確かに端的に話すこと、まとめることが必要な場面もある。社会人になる頃から私も「結論から話さなければ」「手短に話さなければ」という意識を持つようになっていた。

今もインターネット上で公開する、日記ではない文章をまとめるために「わかりやすい文章とはどんなものか」というのを、様々な文章を読んで考察したりもする。しかし、分かりやすさを追求するほどに、探究的な思考を行うことが難しくなるように感じる。これは今の私の限界を表しているのだろうか。


現在の私の感覚では、どんなにインターネット上の「分かりやすい文章」を学び、真似たとしても、それは自己の経験から深い学習をもたらすようなことはないように思えるのだ。それはそもそも私が、筆者が自分自身の外側にあるものについて述べた「分かりやすい文章」を読んでいるからだろうか。テーマが違えば、分かりやすさと内省的な探究というのは両立できるのかもしれない。

そういえば、思想家の内田樹さんや能楽師の安田登さんの書く文章は、分かりやすいけれども深い。ここで言う深いというのは、「独自の経験から人間の根源的なメカニズムを紐解くような学びが感じられる」という意味だ。

「分かりやすく平易な言葉で書かれているけれども深いものの見方を示してくれるもの」の代表は詩だ。特に谷川俊太郎さんの詩は、二十代の前半に書かれたものであっても「一体この人はどんな人生を歩んだのだろうか」と思うくらい、深遠な人間の心の淵を覗き込んだような、ある種恐ろしい影と湿気を含んでいる。

こんな風に世界を眺めてその後の何十年間をよく生き続けられたものだとさえ思う。「詩」という表現があったからこそ、彼は自分の感性を持って現代社会で生きることの折り合いをつけられたのだろうか。2020.5.20 Wed 21:00 Den Haag

 

674. 受け取ったままのギフト

 

それが昨日のことだったか、一昨日のことだったかもう忘れてしまったが、パスポートの申請の手続きを行なった後に、現在持っているオランダの個人事業主のビザの期限ももう残り半年あまりになっていることに気づいた。

家探しに苦労し、やっとビザの申請ができたのがまだついこの間のような気がするが、時が経つのは何て速いのだろう。上手くいけば次は5年分のビザがもらえる。そうなるとしばらく腰を据えてこの国にいることができるが、オランダもしくは欧州の永住権を得るためにはその間にオランダ語を習得し、一定以上のレベルに達する必要がある。

関心が高い分野の学びと実践を深めるために、英語学習を進める必要性は感じているのだが、ことオランダ語となると、今のところ日常生活の中で全くと言っていいほどその必要性を感じない。必要性を感じるのは、オランダ語で記載された公的な書類が届いたときくらいだろうか。

それでも、もっとこの国の人たちの考え方や生き方について知りたい、そのためにはオランダ語を理解することができたらいいだろうという感覚はある。しかしながら、実際に学ぼうという行動に移すほどの意欲はやはり今のところ湧いてはこない。

今ひとしきり考えてみて分かったが、やはり私はオランダ語については今のところ真剣に学ぼうと言う気が起こらない。これが正直なところである。であれば、それについては一旦脇に置き、英語を学ぶことに集中すればそれで良いだろう。向こう5年間英語を勉強し使う機会があれば、そこからさらにやりたいことは出てくるはずだ。

人は本当にやろうと思うことしかしない。今やっていないことは本当にやりたいことではない。それだけなのだ。

それにしても私はこの3年間(ちょうど欧州に来て丸3年が経とうとしている)、ずっと、「異国人」として「異国」に住んでいる。「ここにずっといられる」という安心感はない。落ち着いたと思ったらまたすぐに次のビザの更新がやってくる。そんな環境は私をどう変化させたのだろう。

まず身につけたのは「拠り所がなくても揺らがない強さ」だ。家もない、頼る人もいない、自分を証明するものはない。それでも出会った人と何かを交わすことができるのだという実感を積み重ねた結果、持っているものや所属しているもの、やっていることに規定されない、自分自身を信じる気持ちのようなものを持てたのだと思う。


思い返してみると欧州に来て私に大きな勇気をくれたのが、知り合いになった中国人の女性の経営するお茶やさんでの時間だった。ドイツに来たはじめの月、周囲の街のお茶屋さんを回って歩いたのだが、その一つが彼女の店だった。

彼女はドイツ語は話せるが英語はあまり流暢ではない。私はドイツ語は全く話せず、英語もやはりそこまで流暢ではない。そんな中、初めて店を訪れたとき、彼女はゆっくりと、何杯も、お茶を淹れてくれた。私も彼女も拙い英語で、お茶についての想いを語り合った。

一週間も経たずに再びその店を訪れたとき、彼女はごはんをつくってくれた。そして、横になって休むようにと店の奥の畳の部屋に案内をしてくれた。「食べたあとは、身体を休ませる必要があるから」と。

どんな場所に行っても、大丈夫だと思っていた。それまで何度も大切なものを手放して、だから、また大切なものを全部手放して日本を出ても、私は大丈夫だと思っていた。それでもやっぱりきっとそのときの私は心細くて不安で、必死に毎日を過ごしていたのだろう。彼女にはそんな私の心が見えていたに違いない。

それまでも東京の真ん中で静かにお茶を飲める場所に勤め、そんな場所の持つ力の美しさを感じ、いつかそんな場所をつくりたいと思っていた。

そしてさらに見知らぬ人にお茶を淹れ、食べ物を差し出し、寝る場所をひらく人の在り方に出会い、勇気づけられ、そんな経験が、いつか私も誰かにそんなことができるようになりたいという気持ちを大きくさせた。

豪華でなくていい。大きくなくていい。素朴で小さな、でも、静かであたたかな場所。そんな場所で、疲れ果てながらもまだ歩みを続けようという旅人の話を聞くことができたらなら私は自分が与えられてきたギフトの一部になり、それをまた誰かに届けることができたと思えるだろう。

ドイツに暮らした1年の間に、何度も彼女に店に足を運び、その度彼女は静かにお茶を淹れ続けてくれた。茶葉を買って帰るとき以外に、料金を払ったことはない。お金では測ることのできない、大いなるギフトを私は彼女から受け取ったままになっている。

今も彼女はドイツのあの街にいるのだろうか。それとも中国に帰ったのだろうか。年齢よりもずっと幼く見えるでも凛とした彼女の横顔を思い出している。2020.5.20 Wed 21:29 Den Haag