665. 3人の男性と波の残した光の玉の出てくる夢

 

今日は静かだ。そう思い、今週外出に関する制限等が緩められたことに伴って表の通りの車や自転車の往来が増えていたのだということに気づく。感覚というのは今この瞬間のものを捉えているが、それに対する意味づけというのは記憶を参照した相対的なものとして生まれるということを知る。真っ只中にあるときはその意味が分からない。静かな街に暮らしていた人はそこに静けさがあったのだということに、その街を離れて初めて気づくことになるだろう。

今日の夢はその内容の一部と、その中感じた感覚の一部を覚えている。夢の中で私はある男性を探していた。夢の中では大学生の頃に付き合った相手が、現在の「交際相手」として登場していた。その交際相手の男性が、散歩の途中でいなくなってしまったのである。散歩と言っても、大きな道路沿いにナショナルチェーンの店がポツポツ並ぶようなエリアを歩いていた。心当たりがあるカフェに行くもやはり姿が見えない。私は「何も言わずに姿を消すなんて不誠実な人だ」という困惑と少しの怒りが入り混じったような感覚を覚えながら帰路に着いた。途中、別の男性が登場した。今度は高校生の終わりから大学生まで3年間ほど交際していた相手だ。彼は私が置いてけぼりをくらったことを知り、気にかけてくれているようだった。彼の優しさはありがたかったが、ここで彼と親密になることは避けたいと感じ、「独身でない人と近しい関係になる気は無いです」というようなことを言って、彼に背を向け歩き始めた。

そうすると正面の道が下り坂になっており、その先に石造りの橋が見えた。橋の下がトンネル状になっている、アーチ橋と呼ばれる形の橋だ。美しい橋だと思うのと時を同じくして、橋の下のトンネル部分に水が大きく渦巻いているのが見えた。アーチの形に沿って波がぐるりと回る。海外でサーフィンをしている映像に見られる、トンネルのような形の波が、アーチ橋の足元にできているのだ。それも含めて美しいなと思いながら坂道を降りていくと、波がどんどんと近づいてきているということに気づいた。あれ、これは、このままでは波がここまで来てしまうのだろうか。そう思ったのも束の間、100m以上先に見えていたアーチ橋のところからあっという間に波が坂道を上がってきて、あたりを包んだ。現実世界では私は水に顔をつけるのが極度に苦手なのだが、そのときは不思議と恐怖も苦しさも感じなかった。ただ、水が来るということでぎゅっと目をつぶったのだと思う。ほどなくして目を開けると、波はすっかり消えて、道端にバレーボールよりさらに大きいくらいの、シャボン玉のように薄い膜を持った光の球が転がっていた。それを見て、あの波が残していったのだということが分かった。近くにいた子どもがその光の球を持ち上げる。それを見てまた、美しいと思う。

さて、家に帰ろうかと歩き出すと、今度は公園のような芝生の敷き詰められた広場に出た。その先には3つほど小さな小屋が立っている。それぞれが、いくつかの個室を備えた公衆トイレだということが分かる。キャンプ場にあるトイレ棟のような佇まいだ。トイレに寄っていこうと小屋の一つに近くも、個室の利用者がいるということに気づき、別の小屋に近づく。その中の一つの個室に入ろうとすると、今度は幼稚園と小学校の同級生だった男性(小学校の卒業以来会っていない)がやってきた。「落ち着いてトイレに入らせてほしいなあ」などと思ったところで目が覚めた。

記憶している限り、夢の中でトイレを探したりトイレに入ろうとするとなかなか見つからなかったり邪魔が入るということが多くある。そのもどかしさ故に記憶に残りやすいというだけだろうか。

人生の違う時期に出会った3人の男性が登場したということも興味深い。最後に出てきた男性も、「恋愛」を覚える以前にほのかに恋心を持っていた相手だ。世の中ではそれを初恋と呼ぶのかもしれない。

中庭のガーデンハウスの上を、普段は見かける頻度が少ない三毛猫が通り過ぎていく。その姿を伸び始めた葡萄の蔓の間に身を潜めた、小柄な黒猫が見つめている。三毛猫が歩くと、黒猫もそろりそろりと歩く。三毛猫が止まると黒猫も止まる。

私にはそういう世界が見えているが、この世界がそんな因果関係で成り立っているとは限らない。

そろりそろりと歩く猫たちはそれぞれに固有の世界を生きていて、それを見ている私もまた、固有の世界を生きている。

そう思うと、また、静けさと、あたたかな孤独が戻ってきた。2020.5.16 Sat 8:44 Den Haag

 

666. 愛の名残が消える前に

見上げれば、勿忘草色の空に鱗雲。

この空は、あなたの街まで続いていますか。

また会おうという約束が果たせぬまま、ときは流れ続けるのでしょうか。

何が世界を分かつのか。

何が二人を分かつのか。

人生は孤独の旅路。

そう分かってはいるけれど

一人ではなかったのだと

そんな物語の終わりを夢見てる。

そんな私は弱いのでしょうか。

愛が体験だったと知ってしまった今

記憶を食べては生きられない。

それでもなお、

あの、小さな白い部屋に浮かんでいた青い月が、

確かに愛がそこにあったのだということを教えてる。

記憶というのは、何と残酷なものでしょう。

現実という痛みを受け入れたとき、そこに安らぎは訪れるのでしょうか。

沈む夕日に赤く照らされたカモメが空を舞う。

葡萄の蔓はぐんぐんと空に手を伸ばす。

あふれるほどの、ささやかな幸せがここにある。

それでもなお、今ここにはいない

あなたのことが

心に浮かんでくるのです。

この世界がひとりで見ている夢だったとしても

必ず終わりが来る現実だったとしても

それでももう一度

巡り会えたら。