658. 英語学習に学ぶ、言葉の意味とそれを交わすということ

 

静かに雨が降り出した。

ぼんやりと中庭を眺めていたが、雨の始まりがいつかは分からなかった。
もしかしたら、眺め始めたそのときにはすでに雨は降っていたのかもしれない。
何も無いかのように見える空間に細かい筋のようなものが混じっていることに気づいたのは、何もないと思っているところを見ようとしたからなのだろうか。

言葉や心も同じかもしれない。
何も無いもしくは、すでに何かがあると思っているところに、まだ何かあるんじゃないかと目を凝らして見ていると何かが見えてくる。

暗闇の中でもそこにあるものが見えてくるのに時間がかかる。私たちはそれは知っているのに、こと明るい中にいると始めから「そこにあるものが見えている」などと思い込むのだ。見えていると思った瞬間に、見えていないものは見えなくなる。

昨晩は寝る前に英語学習の本を読んでいた。今は英語で開催されている講座に参加していることもあり、英語を聞く機会、そして読む機会もふんだんにあるのだが、目の前のことを理解しようと場当たり的になっている節がある。せっかくだから英語能力を高めるような学習に昇華できないかと思い、英語学習についての本を読んでみることにした。

選んだ本は、脳の働き、そして日本人の言語感覚の特性に即した英語学習を提案しているというものだ。そのため、第1章はそもそも言語の理解というのがどのようになされているかという解説になっているのだが、それがとても興味深いものだった。


そしてそこに書かれていることは、日本語同士のコミュニケーションの間で起こるすれ違いのようなものを改善するのにも役立つのではないかと感じた。

私たちは普段、見える・聞こえる言葉としては同じものを使っているが、その言葉に付与される意味というのは人それぞれだ。先日、元同僚と久しぶりに話しをしたときに彼が「場」という言葉を口にしたが、私にはその「場」が何を意味しているのかが分からなかった。きっとこれが同じ企業で仕事をし、普段から話をしていたならば「ああ、あのことね」と説明なしにその言葉の意味が理解できただろう。しかし、そうではないと、「場」という言葉が、物理的な造作を含めた空間構造のことを指しているのか、人と人とが共有する見えない文化や空気のようなものを指しているのか、はたまた全く別のもののことなのか、さっぱり分からないのだ。


生きていると、それぞれの人がそれぞれの中に言葉の意味世界をつくっていく。さらにやっかいなことその意味世界は「一人一人が辞書を持っている」というような静的なものではなく、身を置く場や言葉を交わす相手との関係性、自分自身の気分や体調によって、ダイナミックに変動する。人と話しをしているときにもその瞬間に言葉の意味は変化していく。1日様々な人と話をしたら、意味辞典は大きく更新されているだろう。(頑なに更新されない場合もあるが

私たちは違う言語を話していると言っても過言ではないだろう。そんな中幸いにも、お互いの使っている言葉の意味を確認するということはできる。しかしながら日常生活においても仕事においても、相手の使っている言葉の意味を確認するということは多くはない。お互いの使っている言葉の意味が近い場合は、厳密な意味を確認しなくても何となく上手くいくが、お互いの使っている言葉の意味にズレがあった場合、「コミュニケーションは交わして、合意をしたと思ったものの、何だか上手くいかない」ということが起こる。しかし、多くの場合、その根底に言葉の意味のズレがあったということには気づかない。言葉の意味のことを、認識や認知とも呼ぶだろう。

認識や認知のズレに気づき、新たな意味世界を共につくっていくにはどうしたらいいかというのは深めていきたいテーマでもある。

英語学習が、思いの外、日本語でのコミュニケーションを深く考える機会になりそうだが、そちらにのめりこんで肝心の英語学習がなかなか進まないという自分の未来を想像し、苦笑いをしている。2020.5.13 Wed 8:43 Den Haag