657. 子どもの声と口笛の音色が戻ってきた家で

 

午前中、ふと、懐かしい感覚があった。

子どもの声が聞こえたことによって起こったものだと気づく。オランダでは昨日から小中学校や保育所等が再開しているはずだ。我が家の隣には保育所がある。直接姿は見えなくてもその存在の放つ力が中庭の空気を上昇させる。静けさに包まれた日中も好きだったが、普段から夕方以降はいつも静かだし、この国には静けさに出会える場所がたくさんある。

今日は先ほど、PCOneNoteというアプリケーションを入れてみた。Microsoft365のサービスの一つだが、文書を書籍のような形式で保存できることが様々な学びの整理にちょうどいいと思い使ってみようと思ったためだ。

これまでは打ち合わせの記録などはタブの切り替えをして日付の管理等ができて便利だったためにMacにもともと入っているアプリケーションの一つであるNumbersを使ってきたのだが、記録が増えていくとどんどんと横にタブが増えていく形式が見辛く、他の形式で保存ができないかということを漠然と考えていた。

OneNoteは今のところ保存の形式としては内容の整理がしやすそうだが、今こうして日記を書いていると違和感を感じる。どうも行間が詰まりすぎているのだ。試しに行間の広さを調整しようとするも上手くいかない。フォントを変更するとそれに応じて行間も変わるということが分かる。

先ほどまで使っていた明朝体だとあまりに行と行が詰まりすぎていたため、ひとまずは違うフォントに切り替えをした。もうひとつ、テキストエリアに枠線のようなものが出て、それは日記を書くことにおいては不要なので表示をさせないようにしたいが、それも方法が分からない。いっとき使っていればなれるだろうか。

文章を書くときは、できる限り必要のないものは表示されていない真っ白なキャンバスの中に十分な余白を取って文字を綴っていきたいという欲求がある。余白があるほどに言葉が浮き上がってくる。そんな感覚だ。

外出に関する規制が緩和されたためか、昨晩、階下に住むオーナーのヤンさんが久しぶりに家に戻ってきた。彼が家に入ってくるときはすぐに分かる。扉が開く音とともに、口笛の音が飛び込んでくるのだ。足音よりも速く、力強く美しい口笛が家中を飛び回る。

家主が口笛を吹きながら暮らす家に住まわせてもらって良かったというのは繰り返し感じていることだ。そういえば私も以前は玄関の扉を開いてこの家に入り、思わず口笛を吹いたことがあったが、最近はそんなことがなくなっている。むしろ週に1回の外出の際に、外を歩いていて口笛を吹きたくなる感覚だ。家の中で何かを制限してくらしているという感覚はないが、外を歩いたときの幸福感というのは家の中で同じものを得られるかというとそうではない。

制限が緩和されたことを受けて、もう少し散歩の頻度を上げてもいいかと思うが、思いの外気温が低い日が度々やってきている。確かオランダ北部の街に住んでいる友人は6月にもマフラーをつけていたことがあったと言っていたはずだ。それを聞いたときは、北の方だからよっぽど寒いのかと思ったが、今の時点ではこのハーグの街でも、マフラーとは言わないものの冬のコートを羽織りたくなる日がまだやってくる。自転車に乗っている人がダウンを着ているのも見かける。そんな中でも日没時刻が遅くなり21時すぎまで明るいことが、春がもうすっかりやってきているということを教えてくれている。


しかしながら今度は遅くまで明るいものだから、PCを使ったり文章を書いたり読んだりするのを止めるのも随分遅くなってしまっている。読みたい本は限りなくあり、ベッドの中でいよいよ眠気が強くなってまぶたが落ちてくるまで読書を続けていたい気持ちがあるのだが、そうすることでおそらく睡眠の質は下がっているだろう。日本語の美しさにも触れていたいし、一方で英語の本をもっと読みたいという欲求もある。英語の本は日本語の本に比べて何倍も、おそらく10倍以上読み進めるのに時間がかかる。大抵の日本語の本であれば短いものであれば1時間ほど、長くても3時間の読書を2日すれば読破できてしまうのだが、英語の本はそうもいかない。せっかくだから英語の勉強も兼ねてなど欲張ろうとすると、いつまで経っても前に進まずその途中で他に読みたい本が出てきてしまう。日本語の本のように、目次をざっとみて読みたいところを優先するということも簡単にできないことがもどかしい。これが日本にいれば書棚の本もどんどんと増えていくだろうから、Kindleになっていない日本語の本を簡単に購入する環境にいなくて良かったと言える。

昼過ぎに仮眠を取った後から、両肩に重みのようなものと目の疲れを感じている。肩こりというほどまでは重たくはないが、普段身体が軽やかなだけに違いがあるとそれが僅かなものであっても違和感を大きく感じる。これは、昨晩の夜中に覚醒して文章を書いていたら眠りにつくのが3時すぎになってしまったということにも関連しているだろう。

身体や心、意識がどんな状態であっても、ただ共にある。ただ感じる。それを続けていくと、今のように少し倦怠感があるときに感じる感覚というのも変わるのだろうか。

先日、無事戸籍謄本が届いたのでパスポートの更新手続きにも行かなければならない。書類の準備はできたので、あとは写真を撮るだけだ。天気が良くあたたかい日が来たら、大使館まで出かけよう。

ふと振り返ると、書斎の窓の外、隣の家の突き出した1階部分の屋根の上に座っている黒猫の姿が目に止まった。庭の脇にある木には小さな白い花が咲き広がっている。見上げると、空にはぼこぼことしたコッペパンのような形の雲が広がっている。

この窓から見える景色が日々、移り変わっていっているように、自分自身も移り変わる。そう思うと、本を読むのもいいが、こうして出てくる言葉を静かに白の上に置いていく時間もやはり欠かせないものだということを実感する。2020.5.12 Tue 17:51 Den Haag