656. 命、天に還る

 

ベランダへと続く扉を開ける前から、外の気温は肌寒さを感じるほどに低いだろうという予想をしていた。

昨晩、強い音とともに風向きが変わり、一気に暗闇が空間を包んだ。雨こそ降ってこなかったものの、冷たい雲が上空にやってきたということが分かる。試しに、とベランダに出てみると冬のコートが必要なのではと思うほど、冷え込んでいた。もう5月も中旬だが、オランダはまだまだ寒いのだということを思い知った。

そうして冷えた空気が、今日も中庭とその上空を満たしている。
朝の私にとっては(外出しなければ一日中)、中庭が私にとっての世界だ。

昨晩、思い立って絵を描き始めた。
先日亡くなった祖母の火葬を今日行うということを思い出し、今ここにある感覚を残しておきたいと思ったのだ。

描き始める前から空に昇る光のイメージが湧いていた。輝く光の塊がだんだんとほどけていきながら空に向かう。この感覚は私が日本人として文化的・慣習的に身につけているものなのだろうか。身体は地に還り、魂は天に還る。自然とそんなイメージが湧いてくる。他の国の人はどう思うのだろう。

光の塊を描きながら、「これは命だ」と思った。
そして、なぜこれを魂ではなく命だと思ったのかということを考え始めた。
私の中では、命は肉体的に生きているものに対して向ける言葉だと認識している。「余命○ヶ月」というように、肉体的な死を迎えたものに対して「命」があるというようには捉えないだろう。一方で「魂」は、肉体的な死を迎えているものに対しても使うものだと捉えている。肉体的な生死に関わらず、不変なものにも近い。肉体的な死を迎えると、命はなくなるが、魂は残る。そんなイメージを持っている。

それを前提に考えると祖母はすでに亡くなっているのだから、命はもうこの世にはないようにも思う。しかし、肉体に「残り香」もしくは「残雪」のようなものがあるのではないかという気がしている。

肉体が機能しなくなるとき、そして肉体そのものがなくなるとき。それぞれのときに何かが起こるのだ。

それにしても、肉体の死、機能しなくなるときとはどんなときだろう。生物学的には心臓が停止したときということになるのだろうか。心臓が停止したら同時に全ての才能が機能停止するのかというとそうではないはずだ。心臓から供給されていた酸素を含んだ血液が止まることによって、各臓器や細胞が機能するために必要なものが供給されなくなり、結果として生命機能全体が止まる。タイムラグは僅かだろうが、そういう順番なのだろう。もしくは、他に弱くなった臓器や機能があって、その結果心臓が動くのに必要なものが供給されなくなるということかもしれない。いずれにしろこれは、人をある意味機械のように見立て、AのときBが起こるというように、分解もしくは認識可能なメカニズムとして捉えた考え方だ。

一方で人間の計測不可能な存在としての側面を見た時、死とはどういう現象なのだろうか。これについてはまた改めて考えてみたい。

流れとしての生。今は漠然とだがそんなものに関心が向いている。

祖母の命が天に昇っていく絵に、「流れ」を加えたのもそのためだろう。この地球は生命の流れが行き交う一つの大きな運河のようにも見えてくる。2020.5.11 Mon 8:40 Den Haag