644. 祝福と祈りと

 

中庭のどこからか、人の声が聞こえる。バーベキューでもしているのかもしれない。我が家の周りはもともとそこまで賑わっているわけではないので、見る限り人々の様子はあまり変わっていない。冬は長いし、水害の被害も受けてきた。今できることを楽しむ。この国の人々にはそんな在り方が染み付いているのかもしれない。

ふと見上げると、思いの外空が高くて驚いた。鱗のような雲がゆっくりと流れていく。

一日が一年にも感じる。今日もそんな時間を過ごした。

対話を通して人の人生に出会えるということは、何と幸せなことだろう。

今朝は、ノックの音が聞こえて扉を開けると、ヤンさんが白い小さな花が入った花瓶のようなものを持って立っていた。庭で摘んだものだという。名前を聞くと、「Lily」というところだけが聞き取れた。

釣鐘のような形なので、あれはスズランかもしれないと思って今調べてみると、スズランは英名を「Lily of valley」と言うことが分かる。フランスでは、51日がスズランの日と呼ばれ、愛する人や親しい人にスズランを贈る習慣があるそうだ。スズランの花言葉は「幸福の再来」。

ヤンさんはそのことを知っていてあの花を贈ってくれたのだろうか。きっとそうだろう。

昨晩もなぜか突然、我が家の寝室と、ヤンさんのフロアのキッチンの火災報知器がなり始めたので、ヤンさんとメッセージのやり取りをしながら、ヤンさん宅のキッチンに脚立を持ち込み、食器棚の上にあった火災報知器を止めた。そのお詫びとお礼にということなのかもしれないが、きっとそれだけではないだろう。

家のあちこちに飾られた亡くなった奥さんが描いたという絵や、子どもを連れて遊びに来る娘さん夫婦の様子、そして現在のパートナーとの様子から、ヤンさんが、出会ってきた人たちに深い愛を向けてきたことが伝わってくる。

言葉が通じなくても、文化が違っても、まっすぐに向き合おうとしてくれるその在り方そのものが、深い学びを後押ししてくれている。

私は仕事柄、人と言葉を通じてのやりとりしかしないが、そのプロセスでどれだけその人と向き合えているだろうか。その存在そのものと向き合えているだろうか。その存在そのものを祝福できているだろうか。

おそらく私はこの先何十年も、今の仕事を続けていくだろう。表向きの形は変わるかもしれない。でも根底にあるものは変わらず、どんどんと深くなっていくだろう。祝福と祈り。祝と祈に共通するしめすへんは、神や祭事などに使われる部首であり、「示」は神様へのお祈りのときに使う台を表しているという。しめすへんがつく漢字の中で一番画数が少ないのが「礼」。妹の名前だ。礼の旧字体は禮。神聖な儀式を執り行う情景を描いているそうだ。両親としては、周りの人への感謝の気持ちを忘れずにという意味で付けたと聞いている。

兄の名は「拓」。自分で道を切り拓くという意味で名付けられた。兄妹の名前は、それぞれに名付けられたものだと思っていたが、私は「草」という一文字ではなく、拓と礼というつながりを含んだ世界観の中にいたのだと気づく。

自分で道を切り拓き、草花のように伸び伸びと育ち、そして、感謝し、祈る。自分で切り拓いたと思っていた世界が、そうではなく、もっと大きな流れや恵み、慈愛の中にいたのだということを最後に教えてくれるのが礼の字なのだ。

祝い、祈り、礼(うやま)う。

のびのびと生きることをもって、そんな在り方ができたら。

いつか、辺境の地につくる小さな茶室は、祈りの場所になりそうだ。2020.4.27 Mon 20:20 Den Haag