642.  ゴルフ場でのお見合いの夢から、これからの出会い方について考える

 

書斎の窓から差し込む日の光は痛いほどに眩しい。書斎の机にも、寝室の脇に置いてある机にも私は右半身が窓側になるようにして座る。これを続けたら、夏の終わりには右半身だけこんがり焼けたようになっているかもしれない。日焼けはさほど気にしていないが、さすがに半分だけ焼けているのはまずいだろう。まあそれも、人の目を気にしてのことであって人に会わなければ問題でもないのかもしれない。

庭の脇にある茂みに咲く花は、開くほどに花びらの色が変わっていく。朱色から珊瑚色へ。つぼみが開き始めたときには想像もしなかった変化が起こっている。昨年のこの時期はすでに日記を書き始めていたはずだが、あの花の色の変化には昨年は気づいていなかったはずだ。

散歩の途中で見かける花の中にはやはりつぼみが開く過程で色が変わるものがある。いや、本当は他の花や木々も変わり続けているのだろう。

ここまでの文章を書いてから、20分ほど、庭に現れた猫たちを見ていた。

今も、小柄な黒猫が中庭を覗き込んでいる様子を眺めている。なぜだか私は、あの、猫の後頭部がたまらなく好きだ。窓の向こうにいる猫を覗き込んでいる私。そんな私をさらに、どこからか覗き込んでいる存在がいるような気がしてならない。

珍しく、三匹の猫が中庭に姿を現し、私は彼らをじっと眺めていた。眺めながら、なぜ猫に惹かれるのだろうと考えた。実家に犬がいることもあり、私はどちらかというと犬派だったはずだ。それがこの家に住んで中庭の猫たちの様子を眺めるようになって以来、猫好きになってきている。

まず、猫は自由だ。オランダの犬はリードでつながれずに散歩をしていることも多いが、それでも人間と一緒である。しかし猫は中庭という限られた空間の中だが、三次元の空間で気ままに動き回る。

そしてあのしなやかな身体の動き。好奇心がそのまま動きになったような姿を見て、自分の中の世界を新鮮に見続ける感覚が呼応する。心と身体がつながった、生き物本来の姿をそこに見るような気がして、嬉しくなる。

いい天気なのでベランダに出て読書をしたいが、その前に今日見た夢について書き留めておく。夢の中で私はゴルフ場のような場所にいた。そこは、ゴルフをする男性の中から女性が好みの男性を見つけるというお見合いの場所のようになっていた。女性が男性を選ぶだけではなく、男性も女性を選ぶ。いかにも外見だけでお互いを選んでいるようなその場の構造と、さらに、お見合いに来た若い女性に声をかけ、自分磨きのセミナーなどを売り込む他の女性もいるという状況。その場の全体の雰囲気に私は嫌悪感のようなものを感じた。

そして、目が覚めた後もしばらく考えていた。この先、お見合いはどうなっていくのだろうか。オンライン上のお見合いで出会った人と、リアルな場でも上手くいくのだろうか。言葉や画面を通して伝わるものというのは大いにあるのだが、直接会ったときの感覚、フィーリングのようなものは暮らしをともにできるかどうか、特に肉体的な関係を持てるかどうかには大きく影響を与えているのではないかと思っている。

これは遺伝子的な話にも関係があるだろう。個としての性質の良い悪いではなく、動物本能として、「この相手と子孫を残すべきかそうでないか」を、私たちは嗅覚を中心とした五感および直感を通じて嗅ぎ取っているのだ。

オンライン上で交わされたコミュニケーションで「いい感じ」であったとしても、実際に会うとそうではないこともあるのではないかというのが今の私の考えだ。しかしながら、最初の出会いがオンラインの場だというのはもう珍しくない。そこで、お互いの影の部分までも晒し合うことができたなら、例えば外見的な好みなどはあまり気にならなくなるのだろうか。まあ、もともと外見的な好みなどというのも怪しいものである。人は見たいように見ているのだから、それは相手に対する内的な心象風景の反映とも言える。

現在のように人の行動範囲が制限され、直接人と会うことも少なくなる中で、人との関係性というのはどうやってつくられていくのだろうか。その中で、自分にとって特別な人という感覚はどのように形成され、どのように確認されていくのだろうか。

あの猫たちのように、心と一体となった身体を以って、人と出会っていきたいものだ。2020.4.26 Sun 11:44 Den Haag