641. 旅を続けて

 

いくつもの鳥の声が中庭を包む。小柄な黒猫がひょこひょこと庭を歩き、ガーデンハウスの屋根の上にふわりと降りる。数日前はあの黒猫が庭の端で丸まっているのを見た。透き通った黄色の目が、現れたり消えたり。小さな花が咲く庭は、猫にとって秘密の花園のような場所なのかもしれない。

自分が誰に何を提供していくのかということはずっと考えていることだが、先日から、私は今「成長」への関心が薄れているのではないかということに気づき始めた。成長への関心が全く無くなっているわけではない、だからこそ、成長に主眼を置こうとする自分と、そうではない自分が葛藤するのだ。

今日現在の認識では、成長とは結果であると思っている。そしてそれは、目指そうとするほどに遠のく。ここで言う成長とは、能力の成長、すなわち水平的な成長ではなく、意識そのものや器の成長、垂直的な成長のことだ。能力と器の成長は双方に影響を与えあっているが、あえて分けると、というところである。

意識や器の成長は、結局のところ「今の自分」をしっかりと味わうということによって起こっていくのだということを実感している。「今の自分をしっかりと味わう」ということは「ありのままの自分を大事にしよう」ということにも似ている。コーチングを学び始めた10年ほど前にはそんな感覚が強かったが、今持っている感覚はそれとは異質なもののように思う。

「ありのままの自分」の中には「現在の自分に居座る」ということも含まれているように思う。しかしもし、その人の中にもっと別の視点で世界を見る可能性があるなら「居座る」ことはとてももったいないことのように思うのだ。一方で「居座りたい」のであれば、それはまだ体験し残していることがあるからであって、であれば居座りたいだけ居座ればいいとも思う。

いずれにせよ、他人の人生。私に出来るのはそこにあるものをそのままに見守ること。ともにする時間があるのであれば、そこで、ともにダンスを踊ること。そのくらいである。

そんなことを考えていると、価値やメリットを打ち出してサービスを知らせようとすることには違和感を感じてくる。宇宙を漂う孤独な旅人として、あなたの旅について話しを聞きます。できることはそんなことなのだ。

自分が何を伝えようとしても、結局は受け取る人次第なので伝えようとすることにあまり意味はないのかもしれないが、だからこそ、自分の心や在り方に対して一致した言葉を置き続けたいとも思う。

そこに何があろうとも、今日という日を生きたということを祝う。そんな時間を、自分とともに、他人とともに、過ごしていきたいのだと思う。2020.4.25 Sat 8:50 Den Haag