638. 排水管の詰まり 「自分」に関する愚かな認識

 

バルコニーに出て、中庭を見下ろした。いくつもの小さな花が咲く庭。

この静かな庭が美しいと思っていたが、私が本当に美しいと感じていたのはこの庭の手入れをするオーナーのヤンさんの姿だったのだと気づく。

昨日から今朝にかけて起きたことを思い返す。

昨日、キッチンの一角にある洗濯機に、脱水が終わった洗濯物を取りにいったところ、洗濯機の前の床が濡れていることに気づいた。どこから出ているのかは分からないが、洗濯機からの排水が漏れ出しているようだ。

どこか配管に詰まりがあるのだろうか。数日前からシンクの排水が極端に悪くなっていたが、それが関係しているのだろうか。

下の階に水漏れしていたら大変だと、階段を降りて、洗濯機の真下にあたる玄関のあたりに行ってみるも、特段水漏れらしきものは見当たらない。ほっと胸をなでおろしながら、オーナーのヤンさんにメッセージを送る。洗濯機の横の床が濡れていること、数日前からシンクの排水も悪かったことを記す。キッチンの排水管を掃除するための洗剤を買おうかと思っていたが、一旦はヤンさんもしくは専門の業者の人に見てもらおう。そう思いながら近くのオーガーニックスーパーに買い出しに出かけた。

スーパーに行く頻度が週に1度になってもう1ヶ月以上が経つ。顔見知りのスタッフと言葉を交わし、家に戻る途中、ヤンさんから、家にいるがいつ戻ってくるかと連絡が入った。

家に戻ると、玄関の先の廊下にある自転車置き場の床が汚れていることに気づく。濡れているようにも見える。やはり下の階まで水が行ってしまったのだろうか。そう思いながら部屋に戻ると、ほどなくしてヤンさんがやってきた。険しい顔をしている。

とても悪い状況だと言う。確かにヤンさんが指差す階段脇の壁から茶色い水滴が垂れていて、天井部分にもうっすらとシミが広がっている。先ほど見たときには特に異変がないように見えたが、それは私の「異変なし」のフィルターがかかった世界だったのだろうか。

ヤンさんは洗濯機の横にしゃがみこみ、洗濯機の下のパーツを外し、その中にある栓のようなものを回す。水が出てくることが分かり、栓を戻し、近くにあったお盆を洗濯機の下に挟み込む。そして再び栓を回す。お盆に水がいっぱいになる。お盆の水をシンクに捨てる。

ちなみにそのお盆は、10年前に妹から結婚祝いにもらった、シンプルながら美しいつくりのものでとても気に入っているのでできればあまり水に濡らしたくないのだが、この際そんなことを言っている場合ではない。洗濯機の横に小さな鍋を置き、お盆に水を出し、鍋に移すことを繰り返した結果、ほどなくして水の出は止まった。

ヤンさんが今度はシンクの下の扉を開ける。数日前に確かめたときにはそこは濡れていなかったはずだが、今はシンクの下も濡れている。しまってある洗剤などを出し、排水管ののパーツをヤンさんが回す。そんなところまで自分で見るのかと驚いていると、ヤンさんがそのまま、配管の一部を外そうとする。あっ、と声をかける間も無く、シンクに溜まっていた水が配管を通り、床に流れ出る。途中で大きめの鍋で水を受けるものの、すでに水の多くは床に広がっている。

以前だったらこんなときに驚いたり動揺したりしていただろうと冷静に見つめる自分がいる。そして、「鍋で受けた水を、またシンクに流し、配管から再び水が出てくる」という喜劇的なシーンさえ浮かんでくる。

下の階に続く排水管の入り口を触ったヤンさんは、顔をしかめ、「脂っこいものを食べているか」と聞いてくる。油分はある程度取っているが、脂っこいというほどかというとそうでもないはずだ。毎朝、オイルフリングに使っているココナッツオイルは生ゴミとして捨てている。しかし、ココナッツオイルをパンに塗ることもある。ココナッツオイルは常温では固形なため、固まるとしたらそれだろうか。などということを考え、ココナッツオイルを使っていることをヤンさんに伝える。

これ以上は専門の業者に見てもらわないといけない。そう言ってヤンさんは一度キッチンを離れた。

ヤンさんがいない間にあれこれと考えが巡る。以前(ちょうど去年の今頃だっただろうか)オランダに住む友人も、排水管が詰まったということを日記に書いていたように思う。そのときは、なるほど、そんなこともあるのかと思い、始めたばかりだったオイルプリングで使うココナッツオイルをシンクに流さないようにしたのだが、どうやらそれ以外にも油もしくは汚れが溜まっていたようだ。

とすると、身体はどうだろう。どろどろになった排水管の中のように私の内臓もどろどろになっているのだろうか。恐ろしい。早速、スマートフォンで内臓脂肪について調べようとしているとヤンさんが戻ってきた。

明日の12時から13時の間に業者が来るという。そして、「洗い物をするときに熱いお湯を使っていないと油が流れずに固まってしまう」ということを言った。

なるほど。確かに私はこの家に来てずっと、冷水で洗い物をしてきた。それは、日本にいたときから手荒れがひどかったためだ。お湯を使って洗い物をすると手の油分までが流れてしまうのか、それとも洗剤の影響なのかひどく手荒れがしてしまうため、ドイツでもずっと洗い物のときに手袋を使っていた。しかし手袋の着脱が面倒なことと、手袋が消耗品であるため、そのゴミを定期的に出すことになることに違和感を感じたため、オランダに来てからは手袋なしで冷水で洗い物をしていた。冷水の効果か、オランダの水が合っていたのか、洗剤を使っても手が荒れることなく過ごすことができていた。

しかし、その結果排水管が詰まっていたとは

「これからは洗い物をするときはお湯を使うように」というヤンさんのメッセージを見ながら、これまで自分が、肉体的もしくは視認可能な身体のみを自分の一部だと思っていたのだという考えが浮かんできた。「自分」と「環境」を切り離して考えていたのだ。そして、「自分」だと思っている「肉体的な身体」のことばかりを考えていた。なんと、愚かなことだろう。

「不調」とは、自分の身体に直接的に起こることだけを指すのではなく、肉体的な身体を超えた不調も、自分自身の一部なのだ。それに気づかず、狭い範囲で「自分」のことばかりを考えていたことに対する警告がやってきた。

これまで「内」と思っていたことが「外」だったこと、「外」と思っていたことが「内」だったことに気づく。

宇宙がひっくり返ったような、静かな衝撃が私を包んでいた。2020.4.24 Fri 8:55 Den Haag

639. 暮らしというアート

 

暗くなったリビングでお茶を淹れながら、「暮らしこそがアートだ」という考えが浮かんだ。

昼間起こった排水管の詰まり騒動を受けてのことである。

今、日々、頭を使い、手を動かしてはいるが、それはどこか暮らしとは分断された別の世界のものになっている。どんなものも深く向き合えばそこに真理や自分なりの美にたどり着くだろうけれど、私にとってそれは、暮らしの中でこそ見出されるものだったのだ。

オーナーのヤンさんはおそらく70歳近くなろうとしているが、家にいるときはよく庭の手入れをしている。ジーンズにボタンのついたシャツを着て腕まくりをするヤンさんの姿を何度美しいと思ったことだろう。今日もそうだ。時に専門家の力を借りながら、自分の家を自分の目で見つめてきた。手入れをしてきた。そんなヤンさんの姿があった。

目の前の暮らしに向き合うことこそが、自分自身と世界に向き合うことだったのだ。

世界には今、様々な分断があるが、その一つが仕事や学びが暮らしと切り離されたものになっていることではないだろうか。少なくとも私はそうだった。

暮らしに向き合い、その延長線上に商いがある。

そんな人で美しいと感じる人が何人かいる。「手入れ」や「手仕事」という言葉も好きだ。何か分かりやすい「作品」のようなものになるわけではないが、私にとってはそこに美しさがあり、それこそが私にとってのアートだったのだ。

一度ひっくり返った宇宙がまた、ぐるりとひっくり返った。

そして今朝、明るさがやってくる直前であったであろう寝室に、突然、ビービーという音が鳴り響いた。

目を開けると同時に、以前、ヤンさんが「早朝に警報機から電池不足のブザーが鳴ったが大丈夫だったか」というメッセージを送ってきたことがあったことを思い出した。幸いそのとき私は家にいなかったのでブザーで起きることはなかったのだが、寝室の扉の上につけられた警報機が今は数十秒おきに鋭い音を発している。

部屋の中にも、気温にも異常は感じられない。また電池不足で鳴っているのだろうか。それにしてもなぜ今なのか、なぜ今日なのか。そんなことを思いながら眠気まなこで、掃除道具入れに入っているクイックルワイパーのようなものを引っ張り出し、その枝の部分でボタンのような場所を押そうとするも上手くいかない。我が家はつくりが古く、天井の高さが3m以上あるため、普段はとても気持ちがいいのだが、こんなときはそれが裏目に出る。部屋の脇にしまってある梯子を寝室の扉に立てかけみるも、とても届かない。しばらくすると勝手に止まるかとも思ったが、20分以上鳴り続き、残念ながら止まる気配はない。

この音は上下の部屋にも響いているのだろうか。

まだ5時を回ったところで申し訳ないが、このままでは再び寝ることも起きて活動することもできないのでヤンさんにメッセージを送る。警報機の止め方はあるかと聞くと、ヤンさんが昼間家に戻るので、それまで待つか、玄関脇にある脚立を使って自分で警報機を外すかだと返事が返ってくる。

それを見て、すぐに脚立を取りに行き、再び寝室の扉の前に置くと、先ほどの梯子よりは随分大きく安定感もあり、どうにか警報機を外すことができた。そして、手のひらほどの大きさの丸い警報機の表面にあるボタンを押すと、ようやくブザーが止まった。

私は、起床直後に極度に低血圧である。そんな中脚立に登るなどということは心臓に悪い以外の何物でもない。しかし、これも何かの警報なのだろうか。何だかとにかく色々なサインが出ているのだろう。そんなことを考えながら、再び布団のあたたかさに身を預けた。

最近、朝に唱えている祈りの言葉があるが、その中に「あらゆる不調和が正され」という言葉がある。それが早速やってきたということなのだろう。

そんなことを思い出しながら、今朝も祈りを唱えていると、昨日のことが再び頭に浮かんできた。

それは、排水管騒動が大きくなる直前、オーガニックスーパーでのことである。

入り口を入ると、何度か言葉を交わしたことがある男性のスタッフがいた。彼は日本のことが好きで、日本にも言ったことがあると言う。顔を合わせると「コンニチハ」と何かしら声をかけてくれる。

そんな彼が、昨日は目が合った瞬間、嬉しそうに笑い、「バナナヨシモトのオランダ語の本を買った」と言った。一瞬、吉本のお笑いがオランダ語に訳されており、それがバナナに関するネタなのかと思ったが、すぐに「吉本ばななの本を買った」という話なのだということが分かる。

本のタイトルを何度か聞き直し、それが「キッチン」であることが分かった。

そうして、家に帰るとキッチンの排水管詰まりからの一連の騒動が始まった。

今となっては、すべてのことがつながっているように思えてならない。2020.4.24 Fri 9:28 Den Haag