630. 「鬼」という自分

窓を開ける前から、今日は寒いだろうということを予想していた。灰色がかった雲の広がる空は、湿気を含んでいるようにも見える。週末は最高気温が20度近くまで上がったが、今日明日の最高気温は10度ほど。日本で言う「三寒四温」のような温度変化がある季節なのだろうか。太陽の光が少ないと庭の木々の色もしっとりと、翳りを持った色のように見える。これは私自身の心のフィルターが見せている景色なのだろうか。

一昨日から、読んだ本の概要やポイントをノートにまとめている。手帳のメモ欄が1日ごとに割としっかりあるので、これまでは本を読みながら手帳にメモを取っていたのだが、それだとあまりに走り書きになるときがあるためもう少しきれいに書きたいと思ったのだが、理由はそれだけではないようにも思う。

今私の中では、複数の領域にまたがることを自分なりに整理したいという欲求がある。一見違うように見えるものの構造や共通点を見つけ、それらを包括する概念としてまとめたいという想いだ。それは、頭の中にバラバラに散らばったパズルのピースをつなぎ合わせるとともに、知識という無機質なものを体験という糸で縫い合わせて、智慧という、血の通ったものにしていきたいということでもある。さらに、このままではいっぱいになるであろう情報処理のCPUの余白を増やすために「構造化」という、情報の圧縮・濃縮のような行為を行いたいのだ。書籍というのはそんな風に、著者が先人たちの知恵を集め、さらにそれを人生の血肉時間で練ったようなものだということに気づく。

少し前に「鬼滅の刃」という日本で人気だと言う漫画を読み始めた。まだ数巻しか読み進めていないのだが、その中に出てきた「夢の世界での死は現実世界での目覚め」という言葉が印象に残っている。

それと同時に「鬼」という存在もどうやら気になっているらしいということに気づく。「鬼」は、エゴや苦しみ、恐れなど、人間の一部を具現化させたものだろう。鬼が出てくる漫画というのはこれまでにも読んだことがあるが、思い返してみると鬼は「食べた相手の能力を使うことができるようになる」という設定が少なくない。それはある意味、人間の理想とも言えるのだろう。理想が肥大化し、肉体の限界を超えて生きることや、短期間での能力開発を求めて精神の歪みが起きたものを鬼と呼ぶこともできる。

鬼が出てくる漫画では、最初は敵であり殺しあう関係だった鬼との関係が徐々に変わっていくということも興味深い。自分が「世界」だと思っていたものの外側にさらに大きな世界があることを知った主人公たちが、終わらないであろう戦いに途方に暮れ、戦いを作り出している精神自体が変化し、これまで敵だった存在と共存の道をあゆむことになる。「壮大な物語」というのは大抵そんな構造になっている。

そういえば、実家には「風の谷のナウシカ」の漫画版がある。アニメよりもずっと壮大な世界が描かれた漫画はこれまで何度も読み返してきたが、その世界観を理解しきれずにここまで来た。今読んだら、これまでとはまた違ったものが見えてくるだろうか。

窓の外に目をやるたびに、小柄な黒猫がその居場所を変える。

世界は連続なのではなく、非連続で、「観る」ことそのものが、その世界に立ち現れる世界に影響を与えているのではないだろうか。そんなことを思っている。2020.4.13 8:40 Den Haag