627. あたらしい世界

向かいの家の庭から、「もくもく」というには早い勢いで、煙が上がっている。どうやら向かいの家の住人がバーベキューを始めたようだ。いや、バーベキューというには煙の勢いが早いだろうか。見る限り、割と狭い範囲からまとまって煙が吹き上がっている。

向かいの家と我が家のある敷地の間には物置に使われてるであろうガーデンハウスがあるため、直接向かいの家の庭を見ることはできない。しかし、庭とリビングにあるガラスに映る人影で、住人一家が庭と家の中を行き来する様子が分かる。その隣の白髪の女性が住む家でも庭に出ている人がいるようだ。中庭とは逆側にあるキッチンからも、通りを挟んで向かいの家の住人がお昼頃にバルコニーで食事をしている様子が見えていた。

外出を控えても、こんな風に庭やバルコニーがあると外に出たり、日光浴をすることができる。

今日は1週間分の買い物をしにスーパーまで出かけた。途中、溜まっていた段ボールを捨てるために紙ゴミのゴミ捨て場に行ったが、なんと、捨てられた段ボールが投入口から溢れ出るほどになっていた。私もそうだが、出かけない分、宅配で物を頼んでいる人が増えているのだろう。

そして、スーパーに着くと、スーパーも、これまで見たことがないくらい人がいっぱいだった。いっぱいだったと言っても入場制限をしているためソーシャルディスタンスと呼ばれる1.5mの距離は守られているが、それにしても、いつになく人が多い。それぞれの人がまとめ買いをしている様子から、スーパーに来る頻度は下がっていることが想像されるが、それが土曜の昼間に偏っているのだろうか。人との接触を避けるために外出を控えているところが、結局買い出しの日が重なるということであればあまり意味がない。今度から曜日をずらしてスーパーに行ってみようかなどと考えながら帰り道を歩く。

通り道にあるアンティークショップでは、入り口で消毒液を持って椅子に腰掛けている人がいる。どうやら、新しい仕事も生まれているようだ。

日当たりのいい場所にあるベンチに腰掛けてパンを食べている人がいる。

ここにはもう、新しい日常が始まっている。

これまでと同じように仕事ができない人もいるだろうし、今何かに困っている人もいるだろう。しかしもう「以前」と同じようには戻らない。更新された世界でどう生きていくかということを考えていくしかないのだ。

生物の進化は、長い長い時間をかけて起こったのではなく、気候変動など、何かの要因によって比較的短い期間で起こったのだという話を聞いたことがある。(「短い」と言っても、それは「地球の歴史においては」という意味かもしれないが。)

これまで行ってきた習慣というのはなかなか変えられないように思う。それは意志の力だけを使おうとすると確かにそうなのだが、環境の側が変わると、容易に変化が起こるということは自分の生活の中からも実感している。

暮らし方、働き方の習慣を変える。人との出会い方の習慣を変える。価値の提供の仕方の習慣を変える。

そうしたところで、私たちがこれまで行ってきたことの意味や価値が否定されるわけではないし、存在の意義が変わるわけでもない。ただ、「やり方」を変える必要があるというだけなのだ。

そこには、「これまでの自分」と離別するような痛みや葛藤を伴うけれど、それは、例えば転職や起業・独立などといった、人生のステージが変わるときに感じるものと同じような種類のものであるはずだ。

「これがなければ」などと思うけれど、果たして本当にそうだろうか。未来はいつも不確実で、世界は変わり続ける。

そんな中でも人の営みに必要なものは形や習慣を変えてでも残っていくだろう。

結局のところ行きも帰りもマスクをしている人は一人も見かけなかった。2020.4.11 Sat 18:15 Den Haag

 

628. 複雑になったものをシンプルにすることの難しさ

昨日は半日、運営しているウェブサイトの改修作業を行っていた。

そこからの学びが、今、漠然とながらも頭に浮かび始めている。

昨日の作業を振り返って思うのは、「シンプルなものを複雑にするのは簡単だが、一度複雑になったものをシンプルに戻すのは難しい」ということだ。

私はウェブサイトの運営にあたって、ワードプレスという仕組みを使っている。ワードプレス上では、ウェブサイトの枠組みとなるテーマや、さらに細かい機能を付け足すプラグインと呼ばれるものが豊富に用意されており、それらを組み合わせることで、自分の好みに合ったデザインと必要な機能を装備したウェブサイトを作成することができる。

私もこれまでそれらを組み合わせてウェブサイトを作ってきたのだが、最近、ワードプレスのアップデートと、サイト内に組み込んでいるプラグインの相性が良くなかったのか、編集の際にこれまでになかった手間がかかるようになってしまった。

それは単にアップデートが要因なだけではなく、私が自分で直接カスタマイズをしてきたこともあったため、それも関係しているのだと思う。

デザインが崩れているところを調整したいが、テーマやプラグインは中身がブラックボックスのようなもので、どこがどう影響しているかということも分からない。

これが、いくつかのものを組み合わせているだけなら、試してみるということもできるのだが、もはやそれもできない状態である。

今やりたいのは、単純にテーマが持っているもともとのデザインを反映させたいだけなのだが、それがどうにもこうにも上手くいかない。こうなると、気になるページを11つ手修正していくか、サイトのデータを一度保存し、デザインなどの設定自体を初期化してそこにデータを戻すか、はたまたURL自体を変更するかということになる。

プラグインというのは、入れるのは簡単だが、一度入れたものを外したときにどうなるかというのは未知数である。

はて、この複雑になった仕組みをどうしようか。と考えあぐねている。

学校教育から企業内での教育に至るまで、私たちはずっと「新ものを付け加えること」「複雑にしていくこと」を学んできた。しかし、「シンプルにしていくこと」はどうだろう。例えば抽象化や概念化というのはある意味、複雑なものをシンプルもしくは包括的に表現する方向の行為だと言えるが、現実世界に置き換えたときに、実際にどう対処をしていいかというのはなかなか向き合う機会がないのではないだろうか。

私はそうだった。人間関係にしろ、仕事にしろ、それこそ外的な要因から必要にせまられてということはあるし、もしくは内発的な動機からある意味必要に迫られてということもあるけれど、「シンプルにしたいとき」のこれまでの私のやり方は、あたかも「DELETEボタン」を押すような、そんな強引なやり方をとってきたと思う。

今も、全ての設定を初期化してしまうことがある意味一番楽なのだ。もしくはURLを変えるというのもほぼ同じだ。しかしそれでは、「複雑化したものをシンプルにする」ということに対する自分の向き合い方には進歩がないということになる。

これまでの自分にない選択肢と言えば、「専門家の意見を聞く」「人の手を借りる」ということだろうか。

今の思いとしては、自らの手で、複雑になったものをシンプルにすることに取り組んでみたいと思うが、今のところ、現在起こっているエラーのようなものの要因もしくは解決方法は全くもって想像がつかない。

「保留」という選択肢もある。

システムのアップデートの当初などは、既存のプログラムとの相性が悪かったりバグが見つかったりするもので、しばらくするとそれに対する改良を加えたものがアップデートされるというのは往々にしてある。

現在起こっていることも、自分以外の人はさして気にしないことなのかもしれないと思うと、「見た目」のことを気にして細かいことをしようとするよりも、しばらく静観してみるということもできるかもしれない。

そもそも今自分が理想としている状態が、本当に良い状態なのかも分からない。

上手くいかない物事というのは、何か「違う」ところがあるのだ。

もしかしたら自分が「シンプルだ」と思っていることそのものが、実はさらに高度に複雑なことなのかもしれない。

まずは一旦、使っていないプラグインなどをアンインストールした上で、本当にやりたかったことをもう一度考えてみたい。2020.4.11 Sat 18:48 Den Haag