615. 何が新しい月の訪れを知らせるのか

今日が4月1日であることを、届いたメッセージの内容からカレンダーから知る。一つの節目を過ぎたことは、家の前の通りや中庭の様子からは全く分からない。向かいの家々には人の気配がなく、この街の人たちはどこかに消えてしまったのだろうかという気にもなる。

随分と静かな毎日を過ごしていると思ったら、隣の保育所がずっと休みだということにも気づく。お昼前後に中庭で遊ぶ子どもたちの声は暮らしの中に鮮やかな色の絵の具を垂らしてくれていたようだ。子どもたちの声が聞こえなくなった今、聞こえてくるのは鳥の声、風の音。

それでも心には不思議と不安や焦りはない。例えば次にスーパーに行ったときに食料品を買えなかったらどうしよう。なんてことは思わないし、そのときはそのときだという気がしている。栄養の偏りは出るかもしれないが、スーパーフードを中心とした食で日々を過ごすことはできるし、むしろその方が思考や身体の状態がクリアになることは体験済みだ。

野菜を摂ることが少なくなるとビタミンが不足するということで、次に買い物に行ったときはビタミン剤を買っておいた方がいいかとは思っている。

前回買い物をしたのは先週の金曜日、その前は、日曜日。日曜日に買い物をしたときに1週間分のつもりだったのだが、金曜日には野菜や果物のストックがなくなった。オランダはドイツのように厳しい外出制限は出ていないが、買い物の頻度はできるだけ落としたいと思い、先週の金曜日には2週間分の食料を購入したつもりだった。しかし、今あるものは持って次の日曜までだろう。(保存してあるものもあるのでそこで食料が全てなくなるというわけではないのだが)

時間と同じように、食べ物も、人はあればある分だけ食べてしまうのかもしれない。

心の片隅にある不安を感じないようにと、感覚が鈍るということもあるだろう。今の状態が続くと、太っていく人も多いのではないだろうか。激しい運動をしたり、頑張って筋トレをしたりという必要はないが、心のしなやかさにつながる、身体のしなやかさは保ちたいものだ。2020.4.1 Wed 10:42 Den Haag

616. 学びと遊び

昨晩、YouTubeを観ているときにふと、「今の若者は(そんな風に自分が言う年になってしまったのかという感じがするが)遊びと学びが一体になっている」ということが浮かんできた。

それは私が特に教育系YouTuberと呼ばれる人に好きな人がいるということもあるのだが、YouTubeという仕組み自体が、個人がアウトプットをする場になっていて、それはインプットよりもはるかに学習効果が高いだろうと思う。そういう意味で、YouTubeは、閲覧者になるよりも番組提供者になる方が圧倒的に良いはずだ。

少し前に、子どもの将来なりたい職業にYouTuberがランクインする一方で、テレビで活動してきたタレントが「YouTubeって何ですか」と言うような話し振りをしていて驚いたことがある。

テレビタレントにとって、報酬はスポンサーからもらうものであって、視聴者から直接課金するという考え方自体がイメージさえ湧かなかったようだ。結果としてテレビの方がすごい・偉いというスタンスがにじみ出ていることもあったように思うが、今となってはその立場はすっかり逆転しつつある。

タレントの多くは表現者である。何か自分なりに表現したかったことがあるはずだ。それが、「スポンサーの意向」という強い枠組みの中ではなく表現できることは、本来やりたかったことに近づくことになるのではないか。もちろんYouTubeの世界でも大衆に受け入れられようとすると、ある一定の枠組みの中に入る必要があるかもしれないが、大衆の支持を得なくてもいいのがYouTubeであり、その他のデジタルコンテンツでもあるだろう。

現在のような社会の状況の中で、影響を受けている企業や個人も多くいるが、もしかすると20代前半以下の人たちは今の状況を土台とした社会の中で新しいビジネスや仕事の形をどんどんつくっていくことができるのかもしれない。バブル崩壊後の「失われた10年」と言われた時代に物心ついた私たちの世代が、「不況」を不況と感じず、「平常」として生きてきたように。

「生き残るのは最も強いものではない。最も知的なものではない。それは変化に最もよく適応したものである」というダーウィンの言葉を思い出す。2020.4.1 Wed 10:58 Den Haag