614. この世は無

どこからか子どもの声が聞こえてくる。学校が休校になる中で、家の中で過ごす子どもの姿、道端でボールを蹴る子どもの姿が見られる。

子どもにとって外に出ることができない・遊ぶことができないというのは酷だろう。一方でどんな状況の中でも遊びを見つけるのが子どもでもある。

人は制限があるほどにクリエイティビティを発揮するという。

これを機に、与えられる遊びではなく創り出す遊びを楽しむ子どもが、いや、子どもだけでなく大人も、増えることを願うばかりだ。

斜め向かいの家では白髪の老女が二人、キッチンのカウンターの前に並んで立っているのが見える。

アムステルダム周辺では先日、お年寄りが意識不明の状態で発見されたらしい。コロナウイルス のニュースを見て外に出るのが怖くなり、買い物に出ず、冷たいパンをかじっていたという。

地域医療が発達しているといわれるオランダでさえ、周囲との繋がりが途切れ、孤独の中にいる人がいるということに驚く。どんなに仕組みや技術があっても、ネットワークの中に入らない人・入れない人がいるのだ。

改めて思うのは、今世界に起こっていることの原因の多くはウイルスではないということだ。ウイルスは「きっかけ」に過ぎない。すでに人の暮らしや社会の中にあったほころびが危機を作り出している。むしろ、ほころびがいよいよ露見しないと危険な状況になったということが、ウイルスという現象を生み出したのかもしれない。

人と人とはどんなにコミュニケーションを交わしたとしても、それが十分ということはないだろう。

大切な人としっかりと向き合ってきたか、コミュニケーションを交わしてきたか。感謝や愛を伝えてきたか。

「また会える」という暗黙の認知の上にあぐらをかいていないか。

中庭の上で弧を描くカモメの向こう側から、そんな声が聞こえてくる。2020.3.30 Mon 9:41 Den Haag