610. 外出が厳しく制限される夢

数羽のカモメがある一定の範囲の中で動き回りながら声を上げていた。

小さい頃に住んでいた団地のすぐそばには川があってよくカモメにパンの耳などをやりにいっていたのでカモメという存在は私にとって馴染みの深いものだが、よく考えると私はカモメの生態を全く知らない。カラスや鳩の巣は見たことがあるが、カモメはどこにどんな巣を作っているのだろう。その姿を集団で見かけることもあれば一羽で見かけることもある。何年くらい、どうやって生きるのか。

リビングからは、犬と散歩をしている人が見えた。オランダは集合住宅でも1階には庭があり、家の面積も広いので大型犬と暮らしている人も多い。犬にとって、1日に数回散歩をするのは当たり前のことだろう。それを人間の都合で閉じ込めておくのは忍びない。

普段人間が、いかに不自然な暮らしをしているかということが頭を巡る。

今日は長いこと夢を見ていた。夢の中では今と同じ家に住んでいたが、夢の前半では街は外出禁止令が敷かれているらしく、玄関から通りに出ると、50mほど先と100mほど先にひとりずつ、往来を見張る人がいるのが見えた。そういえば夢の中でも今の家に住んでいるのは初めてかもしれない。それだけ、今目の前の世界の状況が気になっているということだろうか。
厳重な雰囲気だったので一度は部屋に戻ったものの、買い物をしないと困ると思い、もう一度外に出ると、先ほどいた見張りの人たちはいなくなっていた。スーパーまでの道すがら、まばらに人がいる。重苦しい雰囲気ではない。
そこからシーンが変わり、私は何かの「仲間」たちと、仕事でとある街に出かけてきていた。今思うとその街の雰囲気は日本の地方都市という感じだ。ビジネスホテルのような場所にチェックインをして、滞在する部屋に向かう。自分の部屋に向かおうとしていたら一緒にいた女性に同じ部屋に滞在しないかと声をかけられる。それに同意するも、その部屋が狭いという理由で廊下にあるロッカーのようなスペースに持ってきた荷物を入れる。
次の日、仲間のうち数人が電車で出かけるということで、ホテルからあるいて10分くらいのところにある電車の駅に一緒に向かった。私は電車には乗らないが、朝ごはんに食べるものを探すためだった。駅前にはどんぶり屋さんのような店があり、商品を受け渡すカウンターの向こうにある商品案内に「鶏てりやき丼」と書いてあるのが見える。写真も貼ってあるが、私にはそれが鶏ではなく、牛に見え、さらになんだか肉が硬そうなので、「名前は魅力的だけど、実際のところどうだろう」という考えが浮かぶ。そんなことを店先で考えていると、後から来たメンバーが、どんぶり屋さんの2軒ほど隣の店にはおにぎりが売っているということを教えてくれる。その店に行くと、店先に出してある台の上に確かにおにぎりが並んでいるのだが、なぜか○△□の形の、おにぎりで、それぞれの形が違うことを不思議に思う。

どうしようかと思っていると、同じ部屋の女性がやってくる。なぜか彼女は今日は黄色いペンキを塗ったような髪の色で、髪の毛が編み込んである。街の中心部の方が飲食店があるかもと思い、彼女と一緒に駅を離れるが、着いたところは結局滞在しているホテルで、部屋に行く途中、廊下にあるロッカーのような場所を開け、自分がそこに荷物を入れていたことをすっかり忘れていたということに気づいたあたりで目が覚めた。2020.3.27 Fri 8:50 Den Haag


611. パラレルワールド

今、パラレルワールドの扉が開いている。
リビングで、豆乳とライスミルクにウコンとジンジャー、シナモン、マカのパウダーを入れてつくったゴールデンミルクを飲みながらふとそんなことを思った。

中庭に佇む梨の木の花がほぼ満開になり、沈みかけた日を受けて輝いている様子を見ながら、今改めて同じことを思う。
今、世界は2つの人たちに分かれつつあるだろう。

恐怖に包まれている人とそうでない人。

実際に身を呈して働いている医療関係者や日常の暮らしを支える人たちがいるが、その人たちが向き合っているのは現実世界である。

しかし一方で、恐怖に包まれている人たちの中には、記憶やイメージから来る恐怖と共にある人も多くいるだろう。一方で同じ状況にいても心穏やかな人たちもいる。
インターネットを通じて見聞きする限りだが、日本はどうも今割とのほほんとしているようだが、もしかすると国自体に見えない結界のようなものが張られていて、何となくそれに守られているという無意識の安心感のようなものがあるのかもしれない。もしくはこれまで災害から何度も立ち上がってきた国としての経験・集団としての記憶が、日本人にどこか「どうにかなる」という気持ちを呼び起こさせているのかもしれない。
先日から聞いているオーディオブックに、私たちが感じる感情は全て過去の記憶を癒そうとするものだという話が出てきた。そうなのかもしれない。そうすると、今はある意味、これまで人の心に積もり積もったものたちを癒す、そんなときだとも言える。

昨日は先週末買っていた食べ物がなくなったため買い物に出た。ついこの前までは「散歩がてら買い物にいく」という習慣があったのが、あっという間に「わざわざ買い物に行く」に変わっている。人の暮らしはこうも短い期間で変わってしまうものか。数年後、数十年後、2020年のことはどんな風に教科書に乗るのだろう。

オリンピックが延期もしくは中止になったのは第二次世界大戦のとき以来のはずだ。今起こっていることはそれくらい大きなこととも言えるし、近年の急激なグローバル化とIT化によってある特定の地域に起こったことが全世界に一気に広がるとともに、恐怖が世界を包んだ現象だとも言える。
先日、実家のある福岡の市長が「今を乗り越えてまた多くの観光客を招き入れよう」というような呼びかけをしているのを目にしたが、それを見て正直「まだそんなことを言っているのか」という気持ちが湧いてきた。福岡は観光産業に偏っているので、今経済的にも大きな打撃を受けており、そんな中で市民を勇気付ける発言だとは想像するが、仮に今の状況を乗り越えたとしても産業構造自体の変化がなければ、今後何度も同じ危機に向き合うことになるだろう。

リーダーが未来を語ることは力になる。人を動かす。だからこそその国や地域に生きる人がどうしたら幸せであり続けられるのかということに日々頭をひねり続ける必要があるだろう。とまあ、そんなことを考える私はのほほんと家で過ごしているのであって、自分は世界に対して何をしているかということは同時に問い続けたいことだ。
いつも行っているオーガニックスーパーの手前にある別の大手のスーパーの前には人がまばらに列をつくっていた。どうやら入場規制のようなことをしているようだ。オーガニックスーパーの前に列はなかったが、入り口を入るとガードマンのような恰幅のいい男性がいて何か声をかけてくる。

手を消毒してという意味かなと思うも、見る限り消毒液らしきものはない。何度か聞き直して、ようやく、カートを使ってくれということなのだと分かる。カートを使えば自然と前の人の距離がちょうど1.5mくらい空くことになる。人の心ではなく物理的な仕組みで距離を取らせる工夫に、なるほどと思う。

とは言え、店の中が一本道になっているわけではないのでなんとなく人との距離を取りつつ進む。普段はフレンドリーな人が多いオランダの人たちと距離を取らないといけないというのは寂しいものだ。それでも目が会えば微笑んだり言葉を交わしたり。距離を取ったとしても関わり自体を失っていないことにはホッとする。レジのスタッフも変わらずにこやかに対応してくれる。
書けば書くほど、ニュースの向こうで見えてくる世界と自分が日々暮らしている世界は、つながっているようでいて別のもののようにも思えてくる。外に出られないのは不便ではあるし、それによって打撃を受けている人たちがいることは確かだが、これまで過剰だった人の心を消耗させるような消費活動が落ち着いていることは人間にとって良いことなのではないかという気もしている。2020.3.27 Fri Den Hag