608. 言葉の感覚と意味の更新

窓の外の明るさから、もう日が傾いていることが分かるが、それでも1ヶ月前のこの時間に比べるとまだ随分と明るい。今週末にはサマータイムが始まる。とは言えまだ昼間の気温も10度を超えない日もあり、外出にはコートが必要なため「サマータイム」という言葉と身体の感覚は一致しないのだが。日本にいたころは「サマータイム」は、ピンポイントで夏場だけの取り決めだということをイメージしていたが、今、体験とともに言葉の意味が更新されつつある。

今は英語を話す機会は極めて少なけれど、今後の長い人生を考えると日本語と同じとまではいかなくても身体感覚と結びつくレベルで英語が扱えるようになればと思う。今も英語の書籍を、翻訳のツールの力を借りつつ読み進めているが、そのときの感覚は日本語の書籍を読むときとは全く違う。言うなれば英語は左脳で処理されており、あくまで「思考」や「知識」としてストックされるという感じだ。読んでいる書籍の種類もあるかもしれないが、今のところ自分自身の体験と重なるような、何かが想起されるような、もしくは情緒的な刺激があるという感覚は全くない。それもあって、ついつい日本語の書籍を読み進める方に比重が偏っていくのだが、この感覚はもっと英語空間と馴染めば変わっていくものだろうか。それともそもそも英語と日本語では、それを扱うための思考体系自体が違うために、日本語を扱っているときと同じ感覚というのは生まれないのだろうか。

オランダはドイツやスペイン・イタリアなどほど厳しい外出規制はされていないものの、必要以上の人との接触は避けた方がいいだろうという感覚から、先週末の日曜日にいつもより少しまとめて買い物をした。まとめてと言っても一人暮らしで料理もそんなにするわけではないのでいつも買っている野菜や豆乳の量を増やした程度である。

それで1週間くらい持つだろうかという目算だったが、どうやら今日いっぱいでストックがなくなり、明日には買い物に行く必要がありそうだ。ストックがなくなると言っても非常食として購入したそばの実やクラッカーはまだ手をつけていない。

そばの実はスーパーフードとみなされることもあるほど栄養価が高くwオランダではオーガニックスーパーに売られているもののあまり馴染みはないようで、行くと大体在庫があるので日々の主食にしてもいいかもしれない。そばの実を炒ればそば茶もつくれるだろうか。

これまでは散歩もかねて2日に1回は近所のスーパーに出かけていたが、どうしてもその必要があるかというとそうではない。しかしあまりに外出をしないと運動不足になることは間違いない。今の暮らしの中で怖いのはウイルスよりも、運動不足で身体の調子が悪くなることや、情報過多でストレスが溜まることだろう。

ここのところ、何度も思っているが、日照時刻が長くなってきたのがせめてもの救いだ。

外はまだ明るい。夕食の前にもう少しだけ今日の感覚を書き留めておきたい。2020.3.26 Thu 19:08 Den Haag

609. 静けさの中に暮らす20年後の自分

今日も20年後の自分と話をした。それは自分のコーチの一人とのセッションの中での出来事なのだが、そのときに印象深かったのが、20年後の自分が暮らしている場所がとても静かだったことだ。海の向こうに沈んでいく夕日が見える海辺の平屋に住んでいるということは2週間前のセッションで認識していたのだが、今日はそこで聞こえてくる音に耳を傾けたところ、カモメの声と波の音、風の音が聞こえてきた。

今住んでいる家もとても静かではあるのだが、車とトラムの通る通りに面していることから通りに近いリビングでは何かしら音が聞こえる。不快なほどではないのだが、私にとって必要な静けさとは言えないので、ミーティングやセッションはできる限り寝室か書斎から参加をするようにしている。

そんな中、今日訪れた場所は本当に静かだった。

前回のセッションの後、ふと、「海の向こうに日が沈むのが見える」という場所は世界の中でも限られているのではという考えが湧いてきた。小さい頃から福岡に住んでいたので、海があることも、海がある方向に日が沈むことも当たり前だったのだが、よく考えると日本の中でも西側に海がある街というのは限られているし、世界地図を見渡しても(今まで日本にいるから気づかなかったのだが)海に面していない国や場所も多くある。

南の島という感じでもなかったから欧州か日本のどこかという気がしていたが、きっとそうなのだろう。ほのかにあたたかい日差しと、気持ちよく吹き抜ける風。あの場所に行ったら、きっと「ここだ」ということはすぐに分かるだろう。

最近、ますます自分にとって大切なものが分かってきているのだが、その結果、ちょっとした違和感にますます敏感になっている。自分のことも、他者のことも、言葉と心が一致していないと、何とも言えない気持ち悪さを感じるのだ。それはそのままにしておくと、軽い身体の不調となって現れる。

以前、勤めていたコーチングファームがグループ会社にクリニックもあったことから遅発型アレルギーの検査をしたことがあった。遅発型アレルギーとは、一般に言われるわかりやすいアレルギー症状よりもゆっくりと症状が現れるアレルギーのことだ。

アレルギーのもととなる物質を摂取してから反応が出るまで数時間から数日時間がかかる場合もあり、その症状も眠気やだるさ、身体の重さ、集中力の低下など、一見、アレルギーとは気づかない。しかしそれが、水がいっぱい入ったビニール袋に小さな穴が空いていて少しずつ水が漏れ出すようにエネルギーの無駄遣いを引き起こして結果としてパフォーマンスの低下につながるということから、無自覚でいるよりも摂取を控えるなどの対処をした方がいいということで検査をしたものだった。

そんな遅発型アレルギーの症状のように、心と言葉の不一致はどこかで身体の状態に影響を与える。その場でも何らかの違和感があるのだがそれをそのままにしておくと、身体や頭が何となく重たくなってくる。

それはときに、かつての自分にとっては「一致していたこと」なので(本当にそうなのかは疑問が残るが)方針転換をするのにためらわれることもあるが、だからこそかつてはそうだったけれど今はそうではないということを認めることは、今、そしてこれからの自分にとって重要になってくるだろう。

出会う人、向き合う人に愛を向けながら、自分自身に正直であり続ける。その先にあの、静けさに満ちた場所があるのだろう。2020.3.26 Thu 19:28 Den Haag