606. ゆっくりと変化する世界とわたし

中庭の梨の木に緑色の鳥が二羽、とまっている。嘴の先だけが緋色。
かと思うと別の鳥が二羽やってきて、枝にとまる。緑の鳥たちは飛び立った。

梨の花はもう8分咲きになった。白い小さな花が開き、その隙間にうねる枝が見える。
花札の柄のようだ。となぜだか思う。

洋梨の木だが、今目の前に佇む姿はなぜだかとても日本的なのだ。
いや、この木が日本的なのではない。

この木から「日本的」を感じる私がいる。

それは何から感じるのかと考えてみると、左右非対称なアンバランスさや年季の入った幹と枝の様子、そして少しくすんだ花びらやつぼみの色からだと分かる。あえていうなら「わびさび」にも近いだろうか。完璧ではない、どちらかというと朽ちていくなかで控えめにそこにある姿。

これが、若々しくてあからさまに華やかで整っていたら、そこに私は「西洋的」なものを感じたかもしれない。

昨年もこの時期にはすでにここに座って日記を書いていたはずなのに、梨の花のことを書いた記憶はない。花が散るときに美しいと感じたきことは覚えている。しかし、咲いていくときの記憶がないというのは不思議なものだ。

ああ、と思い出す。そうだ、昨年のこの時期は日本にいたのだ。東京で打ち合わせ先に行く途中、道を曲がると桜の並木があり、ちょうど花が散っていく様子に息を飲んだ。目黒川にも行っただろうか。

それが去年の今頃のことだということをすっかり忘れていた。1年経って私はどんな風に変化をしただろう。

振り返ってみるとこの1年私は「自分の型」をつくることに取り組んできた。コーチングにおいても、暮らし方、生き方においても。日本を離れながらもまだ慣習として脱ぎきれなかったものにひとつひとつ別れを告げる。そのプロセスは痛みや葛藤を伴うものだったけれど、結果として今、世界が混乱の中にあっても心が平和でいられるのは自分にとって大切なものを確認し続けてきたからだろう。

これからやっと、自分の深いところにあるものに向き合っていく。これからの1年はそういう1年になっていくのかもしれない。そしてそれはこれから長い時間続いていくだろう。

昨日まで見てきた世界が「当たり前」ではなくなっていく。

人が感じる痛みは、変化という動きそのものに対するものだろうか。

なぜだか今、東京でたくさんの時間を共に過ごした人の顔と過ごした時間が頭を巡っている。

そうだ、その人と桜を見たんだ。あれはもう、5年以上前のことだろうか。「いい時間だなあ」と心から思う時間がそこにあった。

そのときそのときを味わってきたつもりではあるけれど、もっと味わっておけば良かったとも思う。

日常が戻ってきたときに、誰と一番始めに顔を合わせることになるだろう。誰に会いたいと思うだろう。

ウイルスに関係なく私はずっとひとりで、扉が開くことを待っている。待っていても開かない扉を、自分で開くことになるのだろうか。2020.3.25 Wed 8:40 Den Haag

607. 言葉の感覚と意味の更新

窓の外の明るさから、もう日が傾いていることが分かるが、それでも1ヶ月前のこの時間に比べるとまだ随分と明るい。今週末にはサマータイムが始まる。とは言えまだ昼間の気温も10度を超えない日もあり、外出にはコートが必要なため「サマータイム」という言葉と身体の感覚は一致しないのだが。日本にいたころは「サマータイム」は、ピンポイントで夏場だけの取り決めだということをイメージしていたが、今、体験とともに言葉の意味が更新されつつある。

今は英語を話す機会は極めて少なけれど、今後の長い人生を考えると日本語と同じとまではいかなくても身体感覚と結びつくレベルで英語が扱えるようになればと思う。今も英語の書籍を、翻訳のツールの力を借りつつ読み進めているが、そのときの感覚は日本語の書籍を読むときとは全く違う。言うなれば英語は左脳で処理されており、あくまで「思考」や「知識」としてストックされるという感じだ。読んでいる書籍の種類もあるかもしれないが、今のところ自分自身の体験と重なるような、何かが想起されるような、もしくは情緒的な刺激があるという感覚は全くない。それもあって、ついつい日本語の書籍を読み進める方に比重が偏っていくのだが、この感覚はもっと英語空間と馴染めば変わっていくものだろうか。それともそもそも英語と日本語では、それを扱うための思考体系自体が違うために、日本語を扱っているときと同じ感覚というのは生まれないのだろうか。

オランダはドイツやスペイン・イタリアなどほど厳しい外出規制はされていないものの、必要以上の人との接触は避けた方がいいだろうという感覚から、先週末の日曜日にいつもより少しまとめて買い物をした。まとめてと言っても一人暮らしで料理もそんなにするわけではないのでいつも買っている野菜や豆乳の量を増やした程度である。

それで1週間くらい持つだろうかという目算だったが、どうやら今日いっぱいでストックがなくなり、明日には買い物に行く必要がありそうだ。ストックがなくなると言っても非常食として購入したそばの実やクラッカーはまだ手をつけていない。

そばの実はスーパーフードとみなされることもあるほど栄養価が高くwオランダではオーガニックスーパーに売られているもののあまり馴染みはないようで、行くと大体在庫があるので日々の主食にしてもいいかもしれない。そばの実を炒ればそば茶もつくれるだろうか。

これまでは散歩もかねて2日に1回は近所のスーパーに出かけていたが、どうしてもその必要があるかというとそうではない。しかしあまりに外出をしないと運動不足になることは間違いない。今の暮らしの中で怖いのはウイルスよりも、運動不足で身体の調子が悪くなることや、情報過多でストレスが溜まることだろう。

ここのところ、何度も思っているが、日照時刻が長くなってきたのがせめてもの救いだ。

外はまだ明るい。夕食の前にもう少しだけ今日の感覚を書き留めておきたい。2020.3.26 Thu 19:08 Den Haag