603. 私が日記を書く理由 -観察自己と目撃者-

日記に振っている番号が昨日600を迎えた。
日記を書き始めたのは昨年の3月12日。1日に何度か日記を書くこともあるため、日数以上の日記が積み重なっていることになる。
日記を書き始めたきっかけは友人に勧められたことだった。「自己とより深く向き合うような取り組みをしたい」と話したところ、勧めてくれたのがリフレクションジャーナル(日記)を書くことだった。
1年間日記を続ける中で、何かとても深いことを考えることもあれば、日常の中で感じる小さな気づきや感覚を書き留めるだけのこともあった。1日にたくさん言葉を綴ることもあれば、1日おきになったり、数日間が空くこともあった。
日記は、ウェブサイトに公開しているが誰かが読むことを想定していたり、誰かに向けて書いているわけではない。
ごくたまに、友人が書いている日記の中で、私の日記を読んだのであろうことが分かる記述があり、そのことは嬉しく感じるのだが、それは「読んでもらえている嬉しさ」というよりも、「宇宙からやってきて私と出会い、そしてまたどこかに旅立っていった小さな光が、どこか離れたところで何かと化学反応を起こして、これまでとは違う輝きを放っていることを見る」ような、そんな喜びと言った方がいいだろう。
ただただ、見たこと、聞いたこと、感じたことを書き散らかしているだけではあるが、結果として何が起こっているかということを1年を期に振り返ってみたい。
リフレクションジャーナルを書くようになって一番良かったことは、1日の中で、心静かに過ごす時間を確実に確保できるようになったことだ。
朝もしくは夜の30分ほどではあるが、ただ、自分と向き合うことにだけ意識を向ける。実際には思考は絶え間なくあちこちを散歩し、時に時空を超えた旅に出てしまうこともあるのだが 、少なくとも、書き終わるときには自分がどんな状態で書いていたのかということを認知することができる。
「随分と昔のことを思い出したなあ」とか、「起こってもいないことに心配してばかりだなあ」とか。

そんな風に自分に起こっていることを客観的に見られるようになったのもリフレクションジャーナルを書くようになって深まったことと言えるだろう。
私はコーチという仕事柄、「自分に起こっていること」を認識することには大きな価値がある。
例えば、自分が「正しい」と思っていることがあるとき、クライアントに向ける質問は無意識にその正しさに向かわせるものになる。

しかしそれではクライアントが自分にとって正しい答えや本当に望むことを見つけることができなくなってしまう。
「自分のために満たそうとしていることはないか」「何かへの恐れからやろうとしていることはないか」そんな風に、自分を客観的に捉える目というのがコーチには常に必要だ。
「自分を客観的に捉える目」というのを「観察自己」と呼ぶ。観察自己を育てることは、感情を適切に表現したり、多様な視点で物事を見つめることにも役に立つ。
コーチに限らず、心地よく日々を送りたい人や、より良いパフォーマンスを発揮したい人、より良い人間関係を築いていきたい人にとって重要なのが、この観察自己の存在だと思っている。
リフレクションジャーナルを書くことを通じて、「観察自己」という視点を得るとともに、さらには「観察自己」がどういう価値観や基準を持っているかも分かるようになってきた。

それはつまり、「観察自己」を観察するさらなる視点があるということだ。それを「目撃者」と呼ぶ。
目撃者によって、様々な観察自己を発見し、それによってそこに共有する美意識に気づくことができる。

「わたし」という存在は、何に喜びを感じ、何に美しさを感じるのか。
これはリフレクションジャーナルの執筆とともに、自分自身のコーチとの対話や対話を通じてさらに深く考えたいと思ったテーマに関する執筆を行なったことによって経験したことだ。
書くことと話すこと。その繰り返しを通じて、意識は深くなり、観察自己と目撃者はその姿を明らかにしてきた。
例えばもし、1年間、日記を書いていなかったら今どうなっていただろう。
特に世界がこんな風に予想もしない状況に動いているとき。

今よりもっと漠然とした不安を感じ、それがどんどんと膨らんでいたかもしれない。自分が不安や恐れから行なっている行動に気づかなかったかもしれない。中庭の木に咲く白い花を見ても、美しいと思えなかったかもしれない。
大げさだが、でもやはり、世界の見え方はずっと違っていただろうと思う。
今ここにあるものは何か、それに対して自分はどんなことを感じているのか、どんな思考が働いているのか。
シンプルなことだが、それを認識し続けることは、自分が「思っている」世界よりもずっと彩り鮮やかな世界がそこにあることを教えてくれる。
そして、人間という存在も、一人一人が全く違って、深くて尊いのだということを教えてくれる。
ちょっとしたことに心が揺れ動くような、自分はちっぽけな存在なのだということを教えてくれる。
ただそこにいる「わたし」を捉え続けていると、何者かになる必要はなくなっていく。
今、私は壮大な試みの中にいて、それはこれからもずっと続いていくだろう。
その試みを書き留めていく。それがリフレクションジャーナルなのだと、今は思っている。2020.3.22 Den Haag