597. セックスについて真剣に考える

眩しいほどの差し込んでいた日が翳り、雨の気配が近づいてきた。
ここのところ、圧倒的に晴れた時間が増えているが、それでもオランダの天気は変わりやすい。雨をただ雨だと受け止められるようになったのは快適だと思える我が家の存在が大きい。

オランダに来て当初は、滞在していた先にwi-fiがなかったこともあり大きな駅の近くのコワーキングスペースに入居していたが、朝一番から全力で進む自転車の列に入ることの心理的負担が大きいことと、オフィスの中が寒かったこと、音楽がかかっている環境が落ち着かなかったことから自宅を仕事場にすることにした。

日本でもシェアオフィスやコワーキングスペースは利用したことがあったが、どこも音楽がかかっていたように思う。あの中で人は本当に目の前のことに集中できているのだろうか。他人のことは分からないが、少なくとも私にとって落ち着いて感性を発揮していられる環境ではなかったと今になって思う。

それは会社のオフィスも同じだ。独立心が強いとか、一旗あげてやろうとかそんな気持ちではなく、単に会社という物理的構造および組織という関係性の構造が合わない人というのも一定数いるのではないかという気がしている。

昨晩は夕食の後に、参加している性に関するオンライン講座の講義を聴講した。「ヨニバース」と名付けられたその講座は、昨年までコスタリカのノサラという町に住み、今は京都に移住している女性がパートナーの男性とともに開催しているもので、女性器に関する学びを通じて自分自身を大切にすることやパートナーシップについて考えていくという講座だ。

最終章はセックスやパートナーシップをテーマとしたものだったが、中でも興味深いのが4つのセックスのタイプという話だった。生殖目的(procreational)、娯楽・快楽(recreational)、再生(regenerative)、自己変容(transformational)という4つのタイプがあるということだったが、日本におけるセックスおよび性は生殖目的もしくは娯楽・快楽に偏っているということをつくづく感じる。

その二つが良くないというわけではないが、例えば子どもができたらパートナーとはセックスしなくなるというのはとても味気ないというか、父親・母親という役割の中に自分を閉じ込めてしまうような感じがして、想像するだけで息苦しくなる。

女性はホルモンバランスなどで子どもができると性欲自体が減るというが、セックスというのは挿入だけを指すのではなく、広くは会話も含めた、物理的・精神的な触れ合いのことではないかと思っている身としては、どんな状況でも、パートナーとの何らかの触れ合いは続けていきたいというのが個人的な希望であり、誰しもが持っている欲求ではないかと思っている。


大切な人と深く交わる喜びというのは、壮大な自然や宇宙と繋がる喜びであり、神聖さや荘厳さえ感じるさせてくれる。

性をもっとオープンかつ神聖なものとして扱うことができたらと思うが、日本社会において抑圧された欲求の延長であったり、男女の関係性の歪さであったり、生物学的な捉え方への偏りだったり、とにかく性を含めたセルフイメージがあまりにアンバランスで脆弱なものではないかと感じている。

かつての自分がそうだったように、セックスに心からの喜びを感じることができない・感じたことがない女性・男性というのはかなりの割合に昇るのではないか。

 

性というテーマについてはこれまで何度か意識が向くことがあったが、いよいよ何か形にしていくときなのかもしれない。「これは日本にいたら扱いづらいテーマだ」と思う私自身がまだまだ囚われているものがある。

性は生だ。パートナーともオープンに話をし、様々な側面からの生を味わいうことができたなら、きっとさらに味わい深い人生となるだろう。2020.3.18 Wed 9:35 Den Haag