592. 新しい季節のはじまり、旅立ちの夢

朝、空が明るくなり始めるのが随分と早くなった。現在ハーグは日の出の時刻が午前7時前、日没時刻が午後7時前、日照時間はちょうど12時間ほど。これは、一番日照時刻が短かった1月の始めに比べて4時間も日照時刻が長くなっていることになる。そういえば「あっという間に暗くなってきたなあ」ということが気づいたらなくなっている。ここから2週間ほどで日没時刻はさらに1時間遅くなる。そして、日照時間は7月には17時間近くなる。これから、圧倒的に欧州での暮らしが気持ちのいい時期になる。

こうして私は、暗くて長かった冬が終わろうとしていることを噛みしめている。

世界はどんな方向に向かおうとしているのか全く想像がつかない。仕事や暮らし、生きるということそのものの考え方が大きく変わるかもしれないし、そうでもないかもしれない。

しかしそれよりも今は、新しい季節がやってきていることを味わい、喜びたい。

今日は久しぶりに、朝に見た夢の断片を覚えている。

夢の中で私は父・母・妹とパートナーと一緒に空港にいた。

私たちは成田から同じ飛行機に乗ったが、どこかの空港で乗り換えた後、バラバラの行き先に向かうことになっていた。それぞれが違う国に住んでいるようだ。乗り換えをする空港内での移動などのシーンがあった。最後は、私がトイレに行って戻ってくると、飛行機の出発時刻が近づいているのか、母が私の荷物を持ち上げようとしているところだった。

父は今は腰を悪くし、歩くことが少し不自由になってきているが、夢の中の父は普通に歩いていたように思う。しかし、私が見る夢の中では、比較的今に近い年齢や関係性の設定だった。

そう言えば、夢に妹が出てくることは比較的頻繁にあるのだが、兄はほとんど出てこない。それは、同性ということもあり兄と比べると妹との方が一緒に過ごす機会が多かったことや、父やパートナーなど他に男性が出てくるため、男性性を象徴するようなものがそれ以上必要ないということがあるのだろうか。

今日の夢は何か、不思議な感覚として心に残っている。2020.3.16 Mon 10:20 Den Haag


593. そのときに必要なものだけを買えることの根底にあるもの

昨日近所のスーパーを訪れると、野菜や肉、飲み物、トイレットペーパーなどの生鮮食品や消耗品が棚からごそっとなくなっていた。歯抜けになり、もはやそこに何が置かれていたかも分からない状態だ。

一昨日に別の通りのオーガニックスーパーや一般のスーパーを訪れたときも同じ状況だったが、事態は大きくは変わっていない。日曜だからそう変化もないとも言えるが、この状況はいつまで続くのだろうか。

食べ物は多少なくてもどうにかなる気はするが、トイレットペーパーはないと困ると言えば困る(実際にはそうでもなかもしれないが)。トイレットペーパーの買い占めが起こるのは何となく理解できるような気がした。

いくつかの商品をカゴに入れながら、自分が、将来に対する不安から買おうとしているものがあることに気づく。普段なら一つしか必要のない食料品を二つカゴに入れようとするのだ。普段、静かな気持ちで最低限の買い物をすることに止めることができているのは「明日も商品がある」という安心感の上に成り立っているのだと気づく。

書店では、たくさん積み上げられている状態だからこそ本が売れるということを聞いたことがあるが、普段の生活の中では、そのときには必要のない十分な量の商品が陳列されているからこそ、そのときに必要な量だけを買うことができるのだろう。

「ミニマリスト」というライフスタイルが謳われるようになって久しいが、ミニマリストが成り立つのは「必要なものがあればいつでもどこで手に入れることができる」という前提があってこそであり、一見、消費的・飽和的な社会とは距離を置いているように見えるライフスタイルも、消費的・飽和的な社会があるからこそ成り立つのだろう。

物を持たないことによって生活の自由度は上がるかもしれないが、結局のところ自分が消費者であり続けるならば、その構造的な立場は変わらない。

単に自給自足がいいとか、資本主義経済は良くないとかそういうことでもないと思うが、少なくとも自分が何らかの形で生産的な立場に身を置くことは必要なのではと感じている。それは、静かな暮らしを長く続けるためにも、人生を喜びの時間として生きるためにもだ。

結局のところ、何かが起こったときに、普段個人や社会の中で抑圧されているものが噴出するのだろう。欧米にウイルスが広がる前は、「コロナウィルスはアジアのものだ」という認識からアジア人に対する差別行動が起こった場所もあるということだが、それは、普段人の心の中にある恐れや嫌悪が表出したということなのだと思う。

「食べ物がなくなったら困るから」ということを理由にいくつかのお菓子をカゴに入れる私は、何だかんだ甘いものが好きなのである。

食べ物を確保するというのは生物として自然な本能とも言えるけれど、自分がどんなフィルターや欲求を元に行動をしているかというのは冷静に見つめたいところだ。今はその訓練には格好の機会とも言える。2020.3.16 Mon 10:42 Den Haag