590. 目の前の人と挨拶を交わすということ

友人の日記を読んでいたら、昨日のスーパーでの出来事を思い出した。いや、あれは一昨日のことだっただろうか。時間の感覚が伸び縮みしているようだ。

我が家からゆっくり歩いて10分ほどのところにあるオーガニックスーパーの店員とはもうすっかり顔なじみになっている。たいていの人が、何度か顔を合わせるとどこから来たのかと聞いてくる。おそらく、私が日本人だと見当がついているのではと思う。日本から来たと答えると、行ったことがあると言うか、行ったことはないけれど行ってみたいんだと話し始める。「コンニチハ」と挨拶をしてくれる人もいる。

そんな中、先日はすでに何度か言葉を交わしたことがある店員がレジに座っていた。商品のバーコードを読みながら調子はどうかと聞いてくる。私は一瞬迷って、良いと答える。一瞬迷ったのは、良い以外の、もっと正直な今ここの感覚を答えようかと考えが巡ったためだ。これまで、何度か別の店員に調子を聞かれたことがあったが、私が聞き返すと、彼女は毎回、お腹がすいているとか、なんだかんだと、そのときの感覚を伝えてくるのだ。

ドイツ語学校に通っていたときに英語の「How are you?」にあたる言葉を習ったが(すっかり忘れてしまった)、答え方のバリエーションはあるものの基本的には軽い挨拶だから、よっぽど悪くなければ英語で言う「I’m Good./ I‘m fine.」にあたる言葉を答えれば良いと習った。英語の「How are you?」も「Hello」とあまり変わらない声かけの一つだと認識している。

 

だから軽く返事をすればそれでいいはずなのだが、これまでスーパーで言葉を交わした店員がいかんせん正直に「私は〜」と答えるので、その姿を思い出していた。

とは言え、一瞬のことだったと思う。しかしそれを見た店員は「今、間があったけど、何かを言うのをためらったの?」と聞いてきた。鋭い。

私が一瞬返事を迷った理由は大きく三つあったのだが、「ベッドの中で本を読みすぎて背中が丸まっていたようで背中が少し痛いんだ」ということを伝えた。(あとの二つ浮かんでいたのは、いつもと違う返事をしようと思っても語彙が思い浮かばないなあということと、午前中に仕事を終えて、とても気分がいいけれどそれを仕事をしている最中の人に言っていいだろうか、ということだ)

今思い返しても、あの場で、そこで感じたことをフラットに言葉にできるというのは、よっぽど心が静かなのだろうかと思う。心地いいなと思うカフェの店員もそんな感じのことが多い。「いまここわたし」で、いるのだ。一方で、オーガニックスーパーの近くに大手のスーパーが二つあるが、どちらの店の店員もオーガニックスーパーの店員に比べると幾分か機械的になる。(日本ほどではないのだが)

オーガニックスーパーは、店内が静かで、夏の冷房も強くない。陳列されている商品の種類も他のスーパーに比べると少ない。だからこそ、その中で、自分を開いていても疲れるということがない。身を置く環境というのは人の在り方に大きく影響を与えるだろう。刺激の多い環境では自分を守るために感覚を閉じざるを得ないのかもしれない。

そんなことを考えていたら、中庭のガーデンハウスの屋根の上を小柄な黒猫が横切ろうとしている様子が目に留まる。途中まではゆっくり歩いていたが、途中から、そろりそろりと歩き出す。「抜き足差し足忍び足」そのものだ。どこかに止まっている鳥を狙っているのかと思うも、見る限り鳥はいない。猫には一体どんな世界が見えているのだろうか。

できればそう遠くない将来、猫と暮らしたい。というのが目下のささやかな夢である。2020.3.14 Sat 9:51 Den Haag