587. 春の香り

口笛を吹きながら、上の階のバスルームの工事をしている大工が階段を登っていった。先週の金曜日から上の階では工事が続いており、工事と言ってもその大半はそんなに音が出る作業でもないのだが、作業をしている大工の口笛は割とかなりの頻度で聞こえてくる。ときには家族もしくは恋人と思われる相手と電話で話している声まで聞こえてくる。相手の声まで聞こえてくるから、スピーカーフォンで話しているのだろう。ラジオらしき音が聞こえてくることもある。

日本で言えばきっとありえない話だろう。

しかしこれまでも、散歩で通りかかったリノベーションの工事をしている家から音楽が聞こえてくることはよくあった。大抵、機嫌よく作業している人と目が合い、挨拶もする。機嫌よく仕事するというのは、生きる営みとしての仕事をするにあたって大事なのだということをつくづく実感する。

一日の大半、人生の大半を充てる仕事を、ただ、難しい顔をしてお金を稼ぐための作業にしてしまっては、何のための人生だと言えるだろうか。私たちは、それが仕事と呼ばれるものであろうとそうでなかろうと、生きているはずなのだ。生きることは活きること。活きる時間のための活きていない時間があるとしたら、それは人生が半分もしくはそれ以下の時間になるのと同じなのではないかという気がしてくる。

音楽に合わせて口笛を吹く。そんな風にしながら身体を動かし、何かを自分の手でつくっていく。そんな風に活きていたいものだ。

今朝は、まどろみの中で香りを感じた。目は閉じていたし、意識も、こっちの世界に向いていたわけではない。しかし、かすかに、でも、はっきりと、何かの香りに包まれていることを感じた。「とうとう夢の中で香りを感じるようになったか」という気もした。知らない香りのような、でもどこかで嗅いだことがある香りのような…。何かに形容できるほどのはっきりとした感覚はないものの、その香りの中に身を置いて、心地よさを感じていた。

布団のあたたかさを感じはじめ、いよいよ起きる気になり目を開けた。香りは消えていた。

何の香りだったんだろうと思いながら、洗濯していたバスタオルを持って廊下に出た瞬間に、強い、ボディーソープのような匂いがやってきた。そうだ、この香りだ。下の階のバスルームで使われたボディーソープかシャンプーの香りが、共有の階段スペースを上ってきたのだろう。

これまでも廊下でこの香りを嗅いだことがあった。でも、今日のようにまどろみの中で香りを感じたのは初めてだった。

そういえば、夢の中では香りを感じないような気がするが、実際のところはどうなのだろうか。視覚情報はもちろんのこと夢の中で聴覚的なもの(起きているときの感覚と同じかは分からないが)は働いているはずだし、触覚もあるように思う。味覚はどうだろう。嗅覚というのは、意識をしたことさえない。

以前、訓練をすれば夢の中でそれが夢だと気づくことができるとドイツ人の友人に教えてもらったことがあり、夢が夢だと気づくポイントは夢のサインに気づくことだと聞いた。夢のサインとは、例えば現在の人間関係では会うことのない相手(昔の同級生)が出てくることであったり、逆に、夢の中にしか現れない人物であったりを見つけることだという。そういう意味では、自分の嗅覚が働くかとどうかを試してみるというのも、夢に気づくポイントになるだろうか。

嗅覚は脳と直接つながった感覚だと言うが、それと、夢の中で嗅覚は働かないということは関係しているのだろうか。そもそも夢の中で嗅覚が働かないかというのはまだ定かではないので、実験をしてみたいものだが、なかなか難しい。

そういえばヴィパッサナー瞑想に参加したときに、実践した最初の瞑想は、鼻の下の感覚を感じる瞑想だった。それで、今ここに集中することができるのだとしたら、嗅覚というのは、純粋に今この瞬間のものだけを捉えていて、視覚のように、「見ていると思っているものが実は記憶に操作されたものだった」ということはないのだろうか。香りから記憶が呼び起こされることは大いにあるが、振り返ってみると、その逆、記憶から香りの感覚をリアルに呼び起こすことは難しい。

欧州に移り住んで1年目。新しい季節が突然やってくることに驚いた。それは、季節の移り変わりを示す、景色や音、香りの記憶がないからだ。

オランダで迎える二度目の春。今年はその訪れを、気温以外のもので気づくことができるだろうか。いつか、春の香りが分かるようになるだろうか。私も口笛を吹きながら家仕事をするようになるだろうか。2020.3.11 Wed 10:27 Den Haag