586. 絶滅危惧種人間

雨が降り出す音を聞いた気がする。あれは、真夜中だったか夢の中だったか。
庭の梨の木のつぼみたちは、もうすっかり開いたエネルギーを纏うようになった。流れるエネルギーと言ってもいい。今年は冬の寒さが厳しくなかったが、冬がもっと寒ければ、つぼみのときの内に蓄えられたエネルギーはもっと大きくなり、そして開いたときの流れも、もっと強いものになるのだろうか。

 

昨日、日本の天然記念物であるトキが、実はトキたちにとって過酷な環境の中で生きざるを得なくなっているという話を目にした。真偽のほどは定かではないが、もし絶滅したら研究費が10分の1になってしまうため、研究費を維持するためにトキの飼育を続けているのだという。

真実は人の数だけあって、様々な立場の人たちが、それぞれの立場からの見方をしているだろう。

そんな中でも、「絶滅しそうな動物を種として保存しようという行為」について考えが巡っている。

長い地球の歴史の中で、これまでも種が絶えるということは繰り返されてきた。環境が変化し、変化に対応できなかった種は途絶え、変化をした種は存続する。それは自然なことに思える。

そんな中、なぜ人間は、絶滅しそうな種を守ろうとするのだろうか。
それはこれまで、自然な流れではない形で他の生物を絶滅に追いやってきたことに対する償いか。それとも、自分たちも同じ道を辿るのではないかということへの恐れがあるのだろうか。

いずれにしろ、大きな変化の中で生きることが困難になっている種を無理やり保存しようとするのは、「自分たちがどうにかできる」という奢りがあるのではないかという気さえしてくる。

もちろん中には、他の生物の変化を、地球環境の変化のフィードバックとして捉え、地球とその環境自体を守るためのプロセスとしての活動だと捉えている人も少なくはないだろう。人間も、地球とともに生きねばならないのだから。

例えば地球の環境が悪化、もしくは激変して、そこに「生物」と呼ばれるものが住めなくなり、今地球上に生きている全ての種が途絶えたとしたら、それは不幸なことなのだろうか。

例えば、環境の変化に適応して、人間そのものが変化をしていって、数万年後くらいに、見た目も体の成分も全く違う生物になったとしたら…。

すでにどんどん「新型」の人間は生まれ始めているのではないかと思う。

「人間がやることも全て、大きな自然な流れに含まれているものだ」と見ることもできる。きっとそうだろう。どんなこともお釈迦様の手の中でぐるぐると回っているようなことだとしたら、自分たちの愚かさを嘆くことさえ愚かなことにも思えてくる。

 

他の種を救おうとする人間という種は、結局のところ、自分たちに対する救いを求めているのだろうか。2020.3.10 Tue 8:43 Den Haag