580. 突然始まった工事の先に

書斎の机でパソコンを開くと、ほどなくして口笛と階段を上っていく足音が聞こえた。そして、ガーガーとドリルで穴を開けるような音が聞こえてきた。「ガーガー」ではその音がちっとも表現できないが、コンクリートを壊すような、割と激しい音だ。

昨日も8時半を過ぎるか過ぎないかというタイミングでこの音が聞こえ始めた。

「上の階のバスルームの調子が悪いので修理の人が来るから、月曜の朝に彼が来たら玄関の扉を開けて欲しい」ということをオーナーのヤンさんから頼まれていたが、当日、「体調不良で来れなくなったのでまた日を改める」という連絡が来た。

「そのうち来るだろう」「そのときは玄関の扉を開ければいい」くらいに思っていたが、まさかこんなに音の響く作業をするとは…。しかも昨日は日中に予定が入っていた。一体このガーガーはいつまで続くのか…。そんなことを考えながら、ヤンさんにメッセージを送り、大きな音がするのに支障のある予定が入っていること、工事の予定について知りたいことを伝える。

書斎もあり、仕事場として使う許可も得ているものの、このあたりは難しいところだ。もっと新しい家は形態が違うのだろうけれど、我が家は伝統的なオランダの家のつくりらしく、各階の住人が玄関と階段を共同で利用するため、共同住宅という色が強い。工事ができないと上の階の住人も不便だろう。日本的な感覚では「とは言え工事の案内を前もってしてほしい」と思うけれど、オランダでは、「工事があることは分かっているのだから、音について気になるなら自分から聞いてくれ」という感じだろう。こちらの人の感覚に慣れた今では「予め確認しておけば」という気にもなる。

それでもさすがに1時間を切った予定をキャンセルするのも忍びないと思い、どうにか音の出る作業を控えてもらえはしないだろうと思っていると、ヤンさんから返事が来た。工事をしている人と直接話すのがいいという。どうしても難しいなら、ヤンさんの部屋を使えるようにすることも考えてくれているようだ。

間も無く階段を上がる足音と話し声が聞こえてきたため、寝室の扉を開け廊下に出ると、ちょうど工事をしている男性とヤンさんが上ってきたところだった。今日の予定と希望を伝える。ヤンさんがオランダ語で何か補足をしてくれる。作業は数日続くが、最初の日が一番音が出るという。その場にいる3人ともが困った顔をしている。それはそうだ、音を出したということは工事をもう始めているということでもある。いつかはやらないといけないことだし、早い方がいい。こんなことが起こることも含めてオランダなのだから、それを伝えてリスケをしてもらうか…。などとぐるぐる考え、クライアントに聞いてみますと私が口にした直後に、男性が何かを口にした。ヤンさんが英語で、今日は帰ることにしてまた来ると言っていると教えてくれる。視線を移すと、男性が、「状況を受け入れた」という顔をしている。感謝を伝えると、男性は微笑んでうなづいた。

この国は色々と不便なことも多い。古い家は傾いているし、「規格」のようなものが、あってないものも多い。きっと工事が予定通りに進まないということも珍しくないのだろう。厳密なスケジュールを遂行していくのではなく、その日その日に起こることに向き合い、波乗りをしていくような、そんな感覚で日々を過ごすことが求められるのだろう。だからなのか、まだそんなに多くのオランダ人を知っているわけでもないけれど、「事実を事実として受け止め、ではどうするかと考える」、そんなさっぱりとした気質が社会から感じられる。

そんなことがあったからか、今日聞こえてきた「ガーガー」は、昨日とは違う質のもののように感じ。あんなに不快だった音が、ただの音として、むしろ感謝を感じる音として聞こえてくる。人の心は単純なものだ。

ガーガーという音が止み、今度は口笛が聞こえてくる。この家が心地いいのは、こんな風に口笛を吹きながら手入れをされてきたからだろうか。ヤンさんが、最初に工事をする人が来ると知らせてくるときに使っていた「Carpenter」という言葉が、体験を持って、身体にも意識にも馴染んだものになってくる。2020.3.6 Fri 9:50 Den Haag

581. 足りないものを埋めることをやめる

直近約2週間分の日記を別のファイルに保存しなおした。これまでなら執筆した数日後、ウェブサイトのアップをするときにその作業を行なっていたのだが、20項目分ずつまとめているファイルの区切り目に来たことをきっかけにその作業が止まっていたようだ。保存し直し目次をつけただけで全体を読み返したわけではないのだが、つい数日も前のことが随分と昔のことに思えて驚く。

その前には、数日前に作った玉ねぎのスープを温め直し、塩を胡椒をかけて食べた。ギーという、アーユルヴェーダで万能オイルとも言われているバターのようなもので玉ねぎをじっくり炒め、さらに煮込んだだけのシンプルなスープ。素朴な味が、身体に染み込む。

玉ねぎのスープを味わいながら、これまでの人生で自分がいかに「頑張る」という習慣の中で生きてきたかということが思い返されてきた。

それは、半分は内発的な動機であるけれども、半分は、他者の期待に応えるためだったように思う。今となっては本当にそこに期待などがあったのかも分からない。しかし少なくとも、これまでの私は、自分の想像する他者の内面に応えようとすることを身につけてきた。「これまでの私」というのは、5年ほど前、会社員を辞める頃までの私のことだと思ってきたけれど、それがつい最近まで、今もまた、無意識の中で生命の躍動としての意識や行動ではなく、何か目的を持った行為に囚われ続けてきているということに気づく。

会社員を辞めて数ヶ月経った頃だろうか、当時住んでいた代田(だいた)という下北沢の近くのアパートに両親が遊びにきたことがあった。築50年を越えるであろうその建物は「コーポ」という古めかしい名前がついた、見るからに「コーポ」な建物だったけれど、私が住んでいた部屋は空間を最大限に活かすようなリノベーションがされており、南と西に大きな窓があり、窓から見える夕日をぼーっと眺めるのは私にとっては至福の時間だった。心地よくて大好きな場所をひとりで味わうのはもったいないと、料理好きな友人にごはんを作ってもらって食事会をしたり、友人たちとお茶を飲むこともよくあった。

古くて、小さいけれど、心地いい場所。そこで両親とお茶を飲む時間も私は楽しみにしていた。

しかし両親、特に母親は、会社員を辞める前に私が離婚をしたことについてまだ納得がいっていないようだった。そもそも人の人生に納得がいくことなんてあるのだろうか。とにかく、彼らにとっては青天の霹靂にも近い出来事で、それまで子どもたちの「それぞれの生き方」を尊重してきた中でも、さすがに受け止めることができなかったのだろう。元夫と共に離婚の挨拶をしたときには静かに寂しくなるということだけを述べた二人の姿は私にはとても大人で愛に満ちたようにも見えたのだが、人間の心というのはそんなに単純なものでもないようだ。

今思えば、その時の彼らにとって私と私を取り囲むものは全て「理解できないもの」だったのだと思う。だから残念ながら、沈んでいく夕日を眺めながら静かに穏やかなときをすごす、ということはできなかった。

そんな中でも、母は織物でできた小さなランチョンマットとコースターを持ってきてくれた。そのときお湯のみをのせていた大学の卒業旅行で行った上海で買ったコースターを見ながら、「きっとシミがついているものを使っているだろうと思って」と。

どこまで行っても私は母の中で、「何かが欠けた子」だったのだろう。

そんな意識が、無意識に私の中にあったのだと思う。

今となっては、これまで誕生日に贈ってくれた扇子や、帰国したときにくれたレッグウォーマーなど、どれも私の好みも、生活もよく分かった上で選んでくれていたもので、ランチョンマットとコースターもその一つだったのだと分かる。

しかし私は、母からの純粋な愛を、「足りない自分」へのダメ出しのように無意識に捉えてきていた。生まれてこの方、ずっとそうだったのかもしれない。基本的には愛情を注がれてきたという感覚はあるけれども、一方でどこかで、違う受け取り方をしている自分がいた。

今私は、癒しのプロセスの中にいる。それは、欠けたところを埋めるのではなく、満ち足りた存在だということに気づくプロセス。どんな形でもそれが祝福されたものなのだということを思い出すプロセスだろう。

これにあとどのくらいの時間がかかるか分からない。数年、数十年続くのかもしれない。まだ深い森の入り口に足を踏み入れたところだという気がしている。2020.3.6 Fri 21:47 Den Haag

582. あの頃見ていた景色

まっすぐなあなたが、なんだかつまらなく思えて
その果てを見たいと思ったんだ

どこまで行っても光があって
でも少しずつ、闇が見えてきた

そこにはちゃんと寂しさもあって
だからそれを包む優しさがあるのだと今なら分かる

あなたのことが心地いいと思ったけれど
それはわたしがあなたしか知らないからじゃないかと思ったんだ

そこにある幸せが
つくりもののように思えて仕方なかった

満ち足りたことに足りなさを感じたけれど
足るを知った今、あなたのことがあのときとは違って見えるかな

あなたのもとを飛び出してもうすぐ10年
いろんな人に出会ったけれど、結局ずっとひとりだった

ふるさとと呼べる場所はまだないけれど
あなたと過ごした時間を越える場所ができたときにはじめて
あなたがふるさとになるのかな

広くて狭くて、賑やかで退屈な
変わらずに変わり続けるあの街