576. 閑散とした、いつもの街

窓の外から、ポツポツという音が聞こえ、顔を上げた。窓ガラスに小さな水の粒がついていく。ああ、今日も雨が降るのか。そう思った。

それが5分ほど前のことだろうか。

今は見る限りでは雨は降っていない。書斎の窓についている水の粒も数えるほどだ。

耳を澄ますと、ひぐらしのようなリズムで鳴く鳥の声が聞こえてくる。これが鳥の声なのかどうか定かではないが、アルプス山脈よりも北側にはセミがいないと聞くし、この季節だからさすがにひぐらしではないだろう。この声の正体がいつか分かるようになるのだろうか。

静かに、一定の間隔を刻むリズムが心地いい。

庭の木の枝についているつぼみは、空に向かい始めた。つぼみだけではない。つぼみがついている小さな枝枝も、少しずつ伸びているように見える。

他の植物の様子はどうだろうと書斎の窓から中庭を覗き込むと、隣の隣の家の1階の屋根の上に黒猫が座っている様子が見えた。あの黒猫は、私の「ただそこに居る」ことの先生でもある。

今日は午後は天気が良かったので散歩がてら少し離れた商店街まで出かけた。ゆっくり歩いて片道30分弱くらいのところにある商店街はアンティークショップやカフェが多く、散歩をするだけで楽しい。その中にあるスピリチュアル系のお店が最近のお気に入りだ。先日そこでザフィアチャイムを購入したときに気になったパワーストーンがあったこともあり、今日もその店を目指した。

ハーグはオランダで事実上の首都と呼ばれる、行政機関の集まった街だ。人口はオランダで第4位。イメージで言えば京都のような古都だと思っているが(あくまで「都市の位置付け」や「エネルギー的な」イメージであって、物理的なイメージではない)、それでも人口は45万人ほど。

今日もいくつかの商店街をはしごすることのできるルートを歩いたが、往復の道のりですれ違った人が30人いただろうかという感じだ。自転車にはその倍くらい、すれ違うか追い越されるかしているはずだが。

今日本に起こっていることについて当事者ではないので軽々しく言えないが、現象として起こることは、単にウイルスという要素だけが要因ではないと思っている。あまりに人口が密集している都市構造、みんなが同じ時間に同じような行動をするという集団的意識、そして個人の心や体の状態。その全てが組み合わさって最終的な現象が発露している。「このままではいよいよまずいよ」というサインなのだと思う。

翻って今のところオランダはどうかというと相変わらず静かでゆったりしている。ウィルスの感染者が確認されていないということもあるが(その後感染者が確認されたということが報じられた)、いくつかの大都市を除いては人が密集しているということはほとんどないし、満員電車での通勤もない。体調が悪いなら出かけないし、他の人が気になるなら出かけない。

物理的、心理的な余白があること。それが種としての人間を守り、個としての平静を守るのではないか。そんなことが浮かんでくる。

とは言え、今の環境では余白を持つことは難しいと感じることもあるかもしれないが、そっと目を閉じて視覚情報を遮断するだけでも頭の中、心の中に余白が生まれてくる。余白ができれば、心の声、星の声が聞こえてくる。2020.3.3 Tue 18:02 Den Haag

577. 思考と直感

30分ほど歩いてたどり着いた店の中で、私はさらに30分近く悩んでいただろう。

右手にはピンクがかった透明度の高いローズクオーツ。左手には白みがかったローズクオーツ。どちらにしようか。

スマートフォンで調べてみると、ピンク色で透明度の高い方が石のエネルギーが高いというようなことが出てくる。なるほど、と頭で納得するものの、なぜか白みがかっている方が気になる。なぜだか分からない。明らかに色は白っぽいのに、それでもやっぱり気になる。しかし、そちらにした方がいい合理的・客観的な理由は思い浮かばない。

困った。と、またスマートフォンで調べてみる

「パワーストーンの選び方」

いくつかのページを見てみると、その中に「直感で選ぶ」という言葉が出てくる。その瞬間に、こちらだと分かる。論理ではない。でも私はやっぱり、白みがかっている方の石が気になるのだ。「こちらはちょっと白いね」と思われてきたかもしれないその石が、なんだか愛おしくさえ思えてくる。

パワーストーンという、そもそもその存在自体がすでに科学では説明できないものを選ぶのに、ネットで検索して科学的・合理的な選び方を見つけようとしている自分がおかしくなった。

大抵のことはきっとそうなのだ。

理由は説明できない。それでも候補に残っているというその時点で、直感や本能はそっちだと言っているのだ。

それが、放っておくとすぐに外側の情報を取りに行こうとしてしまう。そうし続けているときっと発揮されていたはずの直感の力も弱まってくるだろう。

少なくとも、実際に物体として対峙しているものを選ぶのなら、スマートフォンは開かずに、自分の感覚と照らし合わせ、それを信じて選んでいきたい。

そういえば、コーチングセッションでは何が正解かをその場で教えてくれる人はいないし、そんなガイドもない。どんなにハウツーを学んでも、今この瞬間に向き合っている人に次にどんな言葉や問いを投げかけるか、自分がどんな在り方でそこにいるか、正解はないのだ。

日々の営みが鍛錬であり、学びであり、そこに、自らの身体を持って向き合うからこその喜びもある。そんなことを、二つのパワーストーンから教えてもらった。2020.3.3 Tue 18:14 Den Haag