575. 雨音を聞く月曜日

ほのかに明るくなってきている空を眺めながら、降り出した雨の音を聞いていた。ベッドから出る前のまどろみの時間。夢とも思考ともまた違った、不思議な景色が立ち現れてくる。あたたかい布団の感覚に比べると、その浮かんでくるものたちの感覚は心地いいものではないのだけれど、何か自分にとって必要なものが処理されているのだろうという気がしている。そんなことを理由に、布団のあたたかさを味わい続ける。

庭の端には白いプランターが転がっている。数日前に吹いた強風によるものだろうか。階下に住むオーナーのヤンさんがいれば真っ先に片付けるだろうから、ヤンさんはここ数日帰ってきていないということになる。そういえばヤンさん宛の郵便も玄関脇の棚の上に置かれたままだ。

庭の木の蕾は転換点を迎えたように見える。エネルギーのぎゅぎゅっと詰まった蕾の先がほどけはじめている。内向きから外向きに。そんな枝先を撫でるように、静かな雨が降っている。

この日記で何度か書いてきたが、オランダは思った以上に雨が多い。

昨年の秋から今日に至るまで、二日に一回、いや、回数で言うとそれ以上に雨が降っているのではないか。

欧州に来るまで、雨というのは湿気とセットだと思ってきた。湿気は不快感とセットでもある。湿気と不快感の間には、建物の素材や人混みという物理的な要因が挟まれるかもしれない。結果として、雨は私にとって不快なものだった。

しかし今となってはそれが、雨に伴って起こることに対する感覚だったことに気づく。あたたかい室内から雨音を聞き中庭を眺める分には不快感は全くない。雨の中でも鳥の声は聞こえるし、雨の中でも蕾は少しずつ開いていく。雨の中でも、心に光は差す。

自分と向き合い、人と向き合い、言葉と向き合い、感覚と向き合う。
雨でも晴れでも、やることはシンプルなことなのだと思う。2020.3.2 Mon 9:25 Den Haag