567. 懐かしい歌声に包まれて

書斎の小さな机の前でパソコンを開くと、隣の保育所から、微かに歌声が聞こえてきました。それが本当に声なのかも、それとも音楽なのかも分からないけど、どこか懐かしいメロディーを感じます。懐かしさというのはその人が生きていた固有の社会的慣習を土台として感じるものだと思っていたけれど、国や文化を超えて共通するような何かがあるのでしょうか。今感じているのは例えば、音楽の奏でる旋律ではなく、何かの歌を声を合わせて歌うという体験そのものに対する懐かしさなのでしょうか。

以前、どこかの国には「懐かしい」という意味の単語がないと聞いたことがあります。生まれた場所を離れることなく暮らしに大きな変化がなければ何かを懐かしむことはないのでしょうか。今、庭をふむふむと歩き回っている、足の先の白い黒猫の姿をもう見ることがなくなったとき、今こうして庭を眺めている時間に対する懐かしさが生まれるのでしょうか。

どうやら庭の一角が猫のトイレになっているようで、猫は両前脚で土を掘り、そこに丸まって座り、また土を掘りました。そして何かに気づき、庭を横切り、ガーデンハウスの屋根の上に一気に駆け上り、今はその向こうの木の陰に丸まって首を伸ばしています。

庭の真ん中にある背の高い木の枝先についた蕾は、また少し膨らんでいるように見えています。

人の心というのは不思議で、見ようとすれば見ようとするほど、見えなくなるのかもしれません。そもそも他人の心なんていくら頑張っても見ることも理解することもできないでしょう。できるとすれば、自分自身の心だけれども、それも、直接捉えることは簡単ではないと、最近つくづく感じています。しかし、同時に、自分自身の心は見ている景色を通して見えるのだと思っています。

静かに目の前に起こることに目を向ける。ただただ見つめる。そうしていると、目の前のことに色々な評価を下している自分に気づきます。木の枝に膨らむ蕾を見て美しいと感じる。そのことによって、美しいと感じている心があることに気づく。それでも心は常に移ろっていて、「今この瞬間の心」にはいつまで経っても出会うことができない。何かを見るとき、思うとき、それによって、さらに心は形を変えているから。

東京では春一番が吹いたと聞きました。

今、ハーグに吹いている風も、春とつながっているのでしょう。

中庭にカモメの声が響いています。

そういえば、私がハーグに住むことを決めたのは、ここが、カモメの声の聞こえる街だったからです。今思えば、オランダでは知る限り割とどの街にもカモメがいるのだけれど、ハーグの街に来て、海の近くの小さな宿でカモメの声で目覚めたとき、ここならやっていけるかもしれないと思ったのです。

ひとりでオランダでの暮らしを始めることに不安もあったけれど、「魔女の宅急便」に出てくる小さな魔女のように、海の近くの街が、私には新しい舞台に見えたのだと思います。そのときに泊まった宿はとってもリーズナブルだったけれど、その分、外の音は良く聞こえて、部屋の隣にある共同のトイレのレバーが中から取れてしまって扉が開かなくなり、どうにかこうにか必死で扉を開けたことも今となってはいい思い出です。

静かに暮らしながら、挑戦者でもあり続けること、それが今の私の願いかもしれません。かつては自分の中で、相対するもの、同居せざるものだったものたちが、今は一つのものとなっている。そんな感覚を積み重ねていきたいと思っています。2020.2.20 Tue 16:32 Den Haag