553. YouTubeの美容師から学んだ専門家としての姿勢

ギギギギギギギ。蜩(ひぐらし)のような声が聞こえてくる。これを「声」と感じるのは日本人独特の感覚だというが本当だろうか。遠くで、鳩の鳴き声も聞こえてくる。音だけ聞くと、夏の終わりの朝のようだ。

向かいの家では大人の男性と男の子がリビングで食事の支度をしている。その隣の家では白髪の女性がキッチンに立っている。

昨晩、寝る前に出会ったある美容師の方の動画を見て、いっとき動画鑑賞が止まらなくなってしまった。その分寝る時間が遅くなってしまったが、一晩明けた今、改めてその内容が重要なものであったと感じている。

特に印象的だったのは、髪につけるオイルの話だ。ちょうど私も少し前からアルガンオイルという髪に良いと言われているオイルを使用しており、その使用感については満足しているが、髪の毛そのものの質感が変わってきているかというとそうでもない気がしていた。だから、「ヘアオイルの正しい使用法」というタイトルに惹かれて動画を開いた。

全体として、その美容師は、「表立って語られないこと」を語っていた。それはあくまで、シャンプーの化学的な成分やマーケティングの仕組みなどあくまでのごととして捉えることができる・計測可能なことについてなのだが、それでも、普段私たちがいかにその中で限られた情報に触れているかということをひしひしと感じた。

先ほどのオイルについて言うと、ヘアオイルというのは、髪の毛の表面を整えるものだということだ。つまりは、髪の毛の内部を補修するものではない。したがって、どんなに使っても、髪の毛の質そのものが変わっていくということはないということだった。それに加えて、商品によっては、髪の毛の表面からシャンプーで落とされるときに、髪の毛の成分を剥がしてしまうものもあるというのだ。動画では、黒い画用紙に表面がツルツルのガムテープを貼り、それを剥がす様子で例えられており、それはとてもイメージがしやすかった。

市販されているシャンプーについては、「売れているものが良いもの」なのではなく、「売れているのはプロモーションが上手なもの」というだという。これは他の様々な商品やサービスにも言えることだろう。白髪染めではなく、ファッションとして髪の毛を染めることが流行りだし、そのことによって、それまでのシャンプーでは髪がきしむという悩みが出てきたため、シリコン入りのシャンプーが開発され(アジエンスやTSUBAKIなどがブームになったことは私も記憶にある)、それで数年経つと今度は、シリコン入りのシャンプーの成分によってカラーなどが髪に入りづらくなったため、ノンシリコンシャンプーが開発され流行した。今はそこからまたオイル入りシャンプーというのが流行しているらしいが、オイルとシリコンは成分としては同じものだという。「消費者のニーズに応えて商品開発をしている」という言い方もできるが、一方で「あの手この手で言い方や見せ方を変えている」とも言えるだろう。

成分としては、低価格のシャンプーは大きくは「洗剤の中のシャンプー」で、中価格のシャンプーは「化粧品の中のシャンプー」と考えることができるという話もあった。

さらに、なるほどと感じたのは、カットやシャンプー・トリートメントでできることとスタイリングでできることは違うという話だ。それは、「綺麗な髪」と「綺麗に見える髪」は違うという話でもあった。そのことは「健康な状態の髪の毛」をブローした状態と、さらにストレートアイロンなどを使ってスタイリングした状態で比べることができた。シャンプーのCMで、「サラサラー」とやっているのは、スタイリングをしているからこそであって、シャンプーを使ってそこまでいくかと言うとそうではないということだ。しかし、スタイリングなど熱処理は髪に負荷もかかる。美しく見せることと、綺麗な髪であることのバランスをどう取るかというのは、容姿を美しく見せる役割である美容師として悩むところであるという話でもあった。

「タレントを起用して大々的にプロモーションをされているものなど、商品そのものの原料よりも、広告費に多くの費用が使われている」「ネットで調べて上位に出てくるものは、アフェリエイターが広告費を得るために書いている情報」というのは、やはり、という感じではあるが、それにしても、である。「髪質改善」などのキーワードも、今はプロモーションとして使われている場合がほとんとで、本質的な改善にはつながっていないという。

その美容師は、「自分たち美容師がきちんと知識を持てておらず、お客様に対して適切な提案ができていない」ということ省みていた。

なぜ今私がこんなにもシャンプーや髪の毛のことを書いているかというと、この話はコーチング業界にもそのまま置き換えられると感じたからだ。朝起きて、「あ、これは」と頭の中で色々なものがつながってきている。

コーチングを含めたコミュニケーションの手法や考え方についても、「広がっているものが良いものとは限らない」と感じる。企業研修としてアレンジしやすく、ひいては研修会社がマネタイズしやすいものが、「良いもの」として紹介されがちなのは、日本以外の場所でも起こっているのだろうか。

そして、その中には髪にオイルを塗るようなものも多くあるだろう。髪の毛の中(美容師は髪の毛を河童巻きに例えていた。真ん中にキュウリの芯があり、その周りにごはんの層があり、そしてその外側にノリが巻いてあるというイメージだ)というのは、例えばひとりひとりの精神性や身体のようなものかもしれない。それがスカスカなままで、それらのつなぎ目であるコミュニケーションを改善したところで、それは「ずっとつけ続けないといけないヘアオイル」と同じようなものなのではないか。

もちろん髪の毛と同じように、髪の毛の質を良くすることだけの限界もある。表面を整えてスタイリングをしてこそ「サラサラ」になるのであって、そこにはコミュニケーションスキルやコーチングスキルが有効だろう。

自戒も込めて、コーチをつけることもしくはコーチングスキルを身につけることを推奨する企業もしくはコーチの犯している過ちをあげてみると

・役職などの横並びに対応(ひとりひとりの髪の毛を見ないで同じシャンプーを使わせている)
・プロジェクトの規模が広がることを優先して設計(本当はシャンプーとトリートメントだけでいいのに、リンスやコンディショナーも売ろうとする 適切でない相手に売ろうとする)
・内面性重視もしくはスキル重視のどちらかに偏っている(髪質を良くすることだけか、スタイリングをすることだけのどちらかに偏っている)
・コーチやトレーナー自身が、自分が何に対してアプローチしているのかを分かっていない(成分を知らずにヘアオイルを進めている)

これは全てのコーチや研修会社がそうだという訳ではない。今回見た画像を公開している美容師と同じく「これまでと同じやり方でいいのだろうか」「そもそもこれは本当に必要なんだろうか」と自らをアップデートし続けている人、そうしようとしている人たちもたくさんいるだろう。

極論を言うと「ビジネスだから」という見方もあるだろう。「それを選ぶ人がいるのだから」と。これまでは確かに私も、「会社として・個人として食べていく必要があるのだから」という見方をしていた部分もあるように思う。しかし最近、本当にそれでいいのかという気持ちも湧いてきた。二宮尊徳の言葉に「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」という言葉があるが、あまりに「道徳なき経済」が増えていないだろうか。残念ながら、私も含めて一般消費者は基本的に情報弱者であり、マスメディアに翻弄されやすい。だからこそ、サービスや商品を提供する専門家の側が、自分たちに対して厳しい眼差しを向け、「自己存在や自己証明のため」になっていないかを、振り返り続ける必要があるのではないだろうか。

そんな風に眉間に皺を寄せて考えるのもいいけれど、今日の世界の輝きにも目を向けて見てね。とでも言うかのように中庭の鳥たちが声を上げている。2020.2.8 Sat 9:47 Den Haag