539. 「当たり前」になることの恐ろしさ

一昨日の日記をアップしようとしたところから、気づけば随分と時間が経っていた。その間やっていたことは、日記につける画像の大きさを調整すること、サイト上での日記の一覧表示を調整すること…。一覧表示の調整を試みたものの、大きな変更には至らず、結局見た目上の変化はあまりない。しかし、あっという間に30分ほどが過ぎている。恐ろしい世界だ。 

先日から「慣れ」の恐ろしさも感じている。「慣れ」を実感したのは、ここのところ髪の毛につけているオイルの匂いを感じなくなったことからだった。2週間ほど前、すっかり伸びた髪が広がるのを防ごうとアルガンオイルを購入した。肌につけているものと同じでもいいかと迷ったが、髪には髪専用のものの方がいいかと思い、薬局でお店のお姉さんに相談して選んだものだった。

朝、洗った髪をドライヤーで乾かすときにつけるもので、使ってみると乾燥や広がりが抑えられている感じがするので、使用感としては気に入っている。しかしながら使い始めた当初はその匂いが気になって仕方がなかった。それまで使っていた顔につけるアルガンオイルは香りがないものであることと同時に日常の中で香りがあるものを使う機会がほとんどないためちょっとした匂いにも敏感なのかもしれないが、それにしても匂いがきついと感じた。嫌な匂いではないのだが、とにかく匂いがあることそのものが私には気になるのだ。「匂いがこんなに気になっていたら思考のためのエネルギーがそちらに奪われてしまうのではないか」と思っていたくらいだった。

それが、どうしたことだろう。今ではすっかりその匂いが気にならなくなった。あんなに「きつい」と思った匂いなのに。気にならなくなったこと自体は気持ちとしては楽なのだが、それはそれで怖いと感じる。匂いがなくなったわけではない。でも自分はそれに無頓着になっているのだ。

これは、文化や慣習、組織に流れる空気のようなものにも言えるだろう。自分がそこに浸りきっているとそこにその場独特のものがあることに気づかなくなる。それこそが、社内コーチもしくはコーチとして日本に身を置いたときの限界の一つとなるのではとも思っているのだが、それにしてもこの「気づかない」具合は本当に恐ろしい。2週間でこうも「当たり前」になってしまうなんて。

毎日目にするもの、耳にするもの、感じるものをどれだけ新鮮に、はじめての出会いのように感じられているだろうか。全てに対してそれをすると大変なことになってしまうから、人には記憶というものがあるのだろう。それでも、せめて、自然と人に対しては、「はじめまして」の気持ちでいつも向き合っていたい。2020.1.31 Fri 12:25 Den Haag