534. 願いが立ち現れるこの世界に生きて

玄関の扉が開く音とともに、口笛の音色が飛び込んできた。階下に住むオーナーのヤンさんは家に入ってくるとき(1階から3階まで共有の玄関を開けるとき)に大抵口笛を吹いている。そんなヤンさんの癖が移ったのか、私も家に入った瞬間に口笛を吹くことがある。「吹く」という表現は適切だろうか。「音楽が口から出てくる」と言った方がいいかもしれない。「吹こう」と思って吹くのではなく、「ああ、あったかい家だなあ」「帰ってきたなあ」と思ったら自然とそれが口笛になっているのだ。

今日も1日が随分と長く感じた。朝8時から打ち合わせがあったこと、人の人生や想いに深く触れたこと、そして新たな出会いが今日という日の輝きを色鮮やかなものにしてくれる。

「流れ」というのは本当に不思議なものだ。何かを願うとそれがその瞬間に立ち現れている。ひょんなことから、オランダでアントロポゾフィー医学に携わる方と会うことになった。アントロポゾフィー医学は人間の「全体性」について考える流れの中でもざっくりと興味を持っていたものだが、今特に関心が向いている「病気」と「病気でないもの」の間についてのヒントとなる考え方なのではないかという気がしている。「病気」というのも、私の中ではしっくりこない。「病気と診断される部分が自分の中にある」というだけであり、誰しもがそういう部分を持っているし、むしろそういう部分があるからこそ人間は全体としてバランスを取ることができているのではないかとさえ思う。「影のない街」を想像することの方が恐ろしい。社会が「課題」とみなしているものがあるというだけであるとともに、その「課題」があるからこそ、家族や共同体のシステムが保たれているものというものもあるのではないかと思う。

これは、個人の精神的なものや身体的なものに限らず、関係性上の「課題」として認識されるものに当てはめられることもできるように思う。ある現象について様々な角度から眺め、そこにある願いや祈りに気づくことができたとき、それは天に昇り、輝く光となって自分たちを包んでくれる。

少しずつ、新しい向きの風が吹き始めている。2020.1.28 Tue 17:10 Den Haag

535. 光の扉

顔を上げると、書斎の窓から見える空の真ん中にオレンジ色に輝く雲があった。周りの雲は陰りを帯びながら足早に動いていっているのに、そこだけ、違う世界への扉が開いているかのようだ。

そんな雲を眺めていると、ほどなくして鼠色の雲が空に広がった。

新しい世界への扉はいつも開いている。しかし、目の前のことに目を奪われているか、はたまた曇ったレンズで空を見ていることがほとんどだろう。それはそれで、今の自分自身であるけれども、自分がかけているレンズや、自己に対して下している評価に気づいたとき、誰かがそれを押し付けているのではなく、自らが負っているのだと気づくことができる。

17時を過ぎたけれど外はまだ明るい。ということは、日没の時刻が、最も早かったときに比べて随分と遅くなってきているということだ。どうやら日の出の時刻も、もう、一番遅いときを過ぎたようだ。ここからはだんだんと一日が長くなっていく。

4月を過ぎると、ハーグの人たちは晴れた日に一斉に自転車で海に向かう。オランダにやってきてすぐはその気持ちが分からず、「遊ぶのが好きな人たちだ」と思っていたけれど、今ならその気持ちがよく分かる。暗くて、雨の多い秋から冬を越えて、やっとやってくる気持ちのいい季節なのだ。(昨年、オランダ二年目にしてオランダの秋は雨が多いということを知った。10月11月は圧倒的に日本の方が気持ちいいのではないだろうか。)

暗くて寒い時期は静かに家に籠り、明るくて暖かい時期は軽やかに外に出かける。そんなちょっとしたことでも、人間性や全体性というのは取り戻されていくように思う。

グルグルとお腹が鳴り出した。17時半にはおなかがすいてくる私の腹時計は、どんな場所にいても正確だ。2020.1.28 Tue 17:25 Den Haag