529. フランスのコーチとの対話から

夜は順番に訪れていく。今日はそんな実感を持った。

それはフランスに住むコーチ仲間と、私にしては珍しく画像をオンにして話をしているときだった。彼女の背中の向こうにある窓らしきものから光が差し込んでいた。「窓らしきもの」だと思ったのは、最初は彼女がフランスに住んでいるということもあり、自分が今いる環境とさして変わりはないだろうと思い込んでいたために、17時をすぎてもまだなお差し込む光が太陽の光ではないと思い込んでいたためだ。しかし画面の向こうの、窓の向こうにも陰りがさし始め、木々の形が見え始め始めたときに、それが日没時刻の違いのために起こっているということを理解した。18時半頃にはあちらの窓の外も暗くなっていたので、感覚としては1時間くらい日没時刻が違うように感じた。

ドイツのフランクフルトで暮らしていたときはハーグよりもっと日没時間が早かったはずだ。真冬には14時すぎには日が傾き始め、16時前に真っ暗になることもあった。「秋の日はつるべ落とし」と言うけれど、日本で感じてきた日が暮れる速さとは比べ物にならないほど、本当に「あっという間」に夜がやってくる。今思えばそれは、欧州で初めて迎える冬が近づく中で、行く先の見えない不安に満ちた心の窓の曇り具合も重なっていたのだと思う。今、オランダでは暮れゆく陽に不安や寂しさを感じることはない。「外は寒くて暗いけれど、大好きな家にいられて幸せ」と、思いながら高い天井から垂れ下がる緞帳のように厚いカーテンを引く。それがここのところの私の17時すぎの日課だ。

ここ数日は、日記の量からも分かるように、なかなか思考して文章を書いていくだけのエネルギーが不足していた。それは日中の対話に力を向けていたこともあるし、食事の内容とタイミングを図れなかったということもあるだろう。そして、いっとき続けていたHIITという短時間でできる筋トレのようなものをサボっていたということもある。そのときそのとき、集中していることがあったのだが、振り返ってみるとその集中を長時間続けていると1日を通してみたときに結局やりたいことに対してエネルギーが不足するということが起こっているように思う。やりたいことを続けるために脳にも身体にも適度かつ定期的な休息が必要なのだろう。

 

フランスのコーチとの話を受けて今思い浮かんでいるのは、「いくつかの点が線でつながりあい、それぞれの点の動きがお互いに影響を与えあっている」というイメージだ。コーチングとトレーニング、カウンセリング、そして企業と労働者の関係。これらはそれぞれに影響を与え合い(その中でも土台になっているのは企業と労働者の関係である)、お互いの領分を活かし合っている。とりわけ、フランスではカウンセリングやセラピーが一般的で、活用していることをオープンにすることが憚られないものだというのが印象的だった。もしかしたら米国でもそうなのだろうか。

 

現在私はコーチとして「本来持っている力を発揮する」ということに携わっているが、それを追求していくと「癒し」が必要だというテーマにぶつかることがある。いや、おそらくは、ほぼ全ての人が、何らかの側面において癒しを必要としているのではないかと思う。むしろ、「癒し」を必要としていることが「健全」なのではないかとさえ思う。それくらい、当たり前の、とても自然なことだということだ。

しかし、こと日本においてはカウンセリングやセラピーというのは何か特別な病理や「弱さ」に対して用いられるものだというイメージがあるように思う。「セラピーに行ってみたら」というのは、少なくともビジネスシーンにおいてほとんど表には出されないのではないか。

必要に応じてセラピーを活用するからこそ、コーチングの力もより発揮されるのではないかというのが今思い浮かんでいることだ。自分がここからさらに信じるものを探究していくためには、コーチングから何らか別の領域にシフトをしていく(切り替えるのではなく、広げていくイメージだが)ことが必要だろうという気がしているが、それがまだ明確にどちらの方角なのかということは決めかねている。

すでに自分自身には「目には見えない領域」「計測ができない領域」についてのアプローチを活用しているが、それをクライアントに提供していくことにはまだ少し迷いがある。しかし、半年ほど前に比べるとその迷いも、だいぶ「確信があってこその迷い」に近づいてきた。最後に残っているのは、自分自身がこれまで身を置いてきた領域と離別する痛みに耐えられるかということだ。「離別する」と思うのは一瞬のことで、実はそれは「含んで超える」ということなのだということを頭では理解している。もう、後戻りすることはないだろう。自分からの脱皮を味わっているうちに、春がくるはずだ。2020.1.24 Fri 21:24 Den Haag