*オランダでの3年間の教育武者修行を終えた平山直樹さんへのインタビュー 「オランダからのまなざし」の4日目、『オランダで学んだこと③ オランダ人の「楽しむ力』を公開しました。

515. 「本物」に触れて生きる

昨日も日記を途中までしたため、散歩に出た。ここに言葉を置いたのが、もう随分昔のように思える。書いている中身も、さらに昔のことのように思える。
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Haarlemの駅を出ると、ちょっとした広場と道路を超えるとすぐに古い建物の並ぶ商店街のような道に入った。一瞬で「あ、ここは好きな街だ」と思う。どうやら私はなんだかんだオランダでは都会(と言っても日本の都会とは比にならないくらい落ち着いている)が好きなようだ。
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この、昨日書かれた3行の先をもう今の私は書こうとしていない。

ただ、3日前のZaanes Schans と Haarlemの訪問を終えて浮かんできたことは今も心に残っている。それは「本物を知る」ということだ。

一昨日、改めてZaanes Schans はどんな場所だったのだろうとインターネットで調べてみると、川沿いに建ち並んでいた風車は観光用に整備されたものだったということが分かった。もともと工業地帯であり、多いときには300基の風車があったということだが、今あるものはあくまで観光客向けということだ。どおりで、と風車を見たときの感覚、町を歩いたときの感覚が腑に落ちた。私は始終、「オランダらしい」ということを感じていたが、それは、「オランダらしくつくられたもの」から感じるものだったのだ。そして私は、これまでハーグという街に暮らし、「本物」をたくさん見てきたのだとういことに気づいた。街の中心部に立ち並ぶ現在は美術館をはじめとした公共施設やデーパートとして使われている建物、運河に並ぶ船、それぞれが少しずつ違う表情をしながら立ち並ぶレンガづくりの家々。何気なく日常を囲むものたちが、ここでは大きな時間の流れの中に佇んできたものたちだったのだ。思い返せばGroningenやLeiden、Delftなど、私の好きな街はオランダの中でも特に古く歴史の積み重なった街だ。そこには独特の「重さ」と「軽さ」がある。

「重さ」というのは、「地に足がついた感じ」とも言い換えられる。それは、生物としての人間にとって自然な体感覚が感じられるということなのかもしれない。例えば冬でも家の奥まで日が入るようにつくられた住宅。例えば、日が沈む様子が美しく見える大通り。それはきっと、現在のように精密機器や情報機器が発達する以前から人間が「気持ちいい」と実感として感じてきたことが織り込まれているのだろう。「軽さ」ももとを辿れば同じ感覚に行き着くのだろうか。それは通り抜ける風の心地よさであり、様々な時間を乗り越えてきた「開き直り」のようなものでもある。

改めて現在ハーグで暮らす家のある通りを眺めてみると、通りの両側には、新しくはないが手入れをされ続けていることが伝わってくる家が続く。「新しくはない」どころではない。私が思うよりもずっと古くからある建物のはずだ。(その印に、我が家を訪れたオランダ人の友人も「おばあちゃんの家みたい!」と声を上げた。)そして調べてみると、この通りはオランダで一番長い通りだということも分かった。日本で言えばここはさながら四条通りのようなものかもしれない。

他に選択肢がないという中で住むことになったこの場所だが、図らずも日常の中で「本物」を目にする機会に囲まれることになったのだろう。毎日、長い年月を経てきたものを見ていたから、そうでないものがすぐに分かったのだと後になって分かった。

街だけではない。日々目にするもの、触れるもの、交わす言葉。贅沢である必要はないが、そこに魂が込められたものに出会い続けるというのは、自分自身が魂を込めたものを世に届けていくために大切なことなのだと思う。2020.1.7 15:44 Den Haag