078. ロンドンの夜

10分ほど前に席に着いた電車が、暗闇の中に向かって、滑るように走り出した。トンネルの中を通っているのか、鼓膜に少し圧力を感じる。2日前に急遽2泊3日でロンドンに行くことを決め、30分ほど前にロンドンのStansted空港に到着した。ここのところの様々な事件のせいかオランダに来た友人が滞在先の情報などを詳しく聞かれた(オランダはEUの他国に比べて、入国の際に比較的にこやかに迎え入れてくれる印象がある)ということでイギリスでも前回同様かそれ以上に滞在の目的や同伴者、仕事や収入など厳しく聞かれるかと覚悟していたが、思いの他すんなりとパスポートコントロールを通ることができたのは、オランダの滞在許可のカードを持っているからだろうか。

スキポール空港の搭乗口近くでは、既に耳に入ってくる言葉はほぼ英語に変わっていた。しかし何かが違う。発音と言うより発声、英語を話している人々の声が、押しつぶした喉から発される声のように聞こえたのだ。そういえばオランダやドイツで聞こえてくる声はどちらかと言うと身体全体に響かせた、空間を帯びた音のように聞こえる。比較的小柄なイギリスの人たちは発声の仕方も違うのだろうか。

オランダからイギリスに2泊3日で行く。それを2日前に決める。そんな姿を1年前の自分は想像もしていなかったかもしれない。1年前の私と言えば、仕事は今と大きくは変わらないが、ドイツに住み、毎晩17時30分から21時までのドイツ語のクラスに通っていた。既に初級のクラスを終え少し上のレベルのクラスが始まっていたが、ドイツ語を本気で身につけようとしていたかと言えばそうではなく、語学学生ビザを更新するため、そして何かを学んでいることを自分に言い聞かせるためというのが大きかったように思う。その後、2ヶ月の間で私はオランダに行くことを決めた。一緒に暮らすパートナーの元を離れ、1人でオランダに渡る。それはドイツに来たときよりももっと大きな、自分の人生に責任を取ろうとする決断だった。それからほどなくして、彼がイギリスに異動になることが決まった。その出来事はもちろん私の決断とは関係なく組織の中で決まったことだったけれども、何か、自分で舵を切ったことを「それで良かったのだ」と後押ししているようだった。

1年前に比べて私は、自分とつながり、そして自分という枠を手放し始めているように思う。未来を描きそこに向かっていくというよりも、1日1日そこにある時間を味わい、積み重ねていくような生き方も強まっている。住む場所が変わったこと以外、何か大きく変わったわけではない。しかしそこにいるおおもとの理由が自分自身の選択にあること、そしてたくさんの偶然と人の助けの上にあることが、自分の在り方を変えているのかもしれない。あの頃と同様先は見えていないけれど、心は軽やかだ。

電車がもうすぐ目的地のLondon Liverpool streetに到着する。数ヶ月ぶりのロンドン。何に目を留め、何を感じ、何を考えるのだろう。体験とともにありながら、体験している自分を見つめることを試したい。2019.4.29 23:22 London