501. クリスマスと星野源さん

今日は世の中ではクリスマスという。名前をつけるというのは面白い行為だ。それによって、とある時間や空間が「特別なもの」として切り取られる。世界は言葉によって文節されるように思えるが、言葉は本質的には何も表すことができないのではないかとさえ思う。

こうして日記を書き始めると普段とは違う思考のスイッチが入るから不思議だ。自然とスイッチが入っているようにも思うし、どこかで瑣末なことを言葉にすることを切り捨ててしまっている自分もいるように思う。しかしよく考えるとそもそも「瑣末なこと」などあるのだろうか。文節と価値付け。言葉を使っている限りこれらをやめることはできないのだろうか。こうしてまた、言葉として置かれないことが、こぼれ落ちていく。

今朝は、星野源さんが夢に出てきた。私の中で、星野源さんというのは特段、特別な存在ではない。人に限らず、自分が認知しているかさえ分からないことが夢に出てくることがある。これはどういう現象なのだろう。

今日の夢には他に幼稚園のときに中の良かった女の子が出てきた。彼女とは、小学校の中学年以降会っていないように思う。友人であるAちゃんが夢の中で何か私に対して精神的に頼るようなことを言ってきたため、私は「それは自分自身で向き合う問題ではないのか」というようなことを言った。言いながら「これは冷たいと思われるかな。でも、自分自身の正直な気持ちなのだから」と思ったことが印象に残っている。その後、Aちゃんが「今日は星野源さんのコンサートに行く。それで星野源さんが迎えにきている」と言い、それに対して私は「Aちゃんの家はお金持ちだと思っていたが、本当にそうなんだなあ。そんな人には、コンサートをする本人がわざわざ迎えにくるのか」と思った。そして少し歩いた先に星野源さんが待っていた。Aちゃんを見つけた星野源さんが「今日は○○だね!」という、決め台詞(?)らしきものを言った瞬間、目覚ましに使っている鳥の声が寝室に広がり、私の意識は布団の中に着地した。(私は、ここ6年間くらいテレビを持っていないため、星野源さんの決め台詞を知らない。)2019.12.25 Wed 11:38 Den Haag