497.穏やかなクリスマス

傘をさす必要があるくらい雨が降っている中を、珍しく買い物に出た。
家にあるものはブロッコリーとバナナだけ。夕飯のための買い物が必要だった。

暗くなり始めた住宅街の中を通ると、どの家の中にも大きなクリスマスツリーが飾られているのが見える。
おそらくどれも本物の木で、やわらかなオレンジ色の間接照明の光と品良く混ざり合うように控えめに電飾が付けられているものもある。それぞれの家にあたたかくて静かな時間が流れている。

そう思うのは、自分自身の心が穏やかだからだろう。

 

昨年、クリスマスは日本から遊びに来ていた友人と過ごした。パリに二泊ほどしたのはクリスマスを過ぎてからだっただろうか。確か、行きはタリスという特急電車とユーロスターを乗り継いだのだったと思う。ギリギリで電車のチケットを取ったためにファーストクラスに乗ることになった。電車の中で飲み物やスイーツが運ばれてきたこと。赤くて座り心地のいい座席のこと。それまでには乗ったことがないゆったりとした車両が印象的だった。

一昨年のクリスマスはドイツで迎えた。ドイツで知り合ったドイツ人の女性が、私がクリスマス、家で一人で過ごすということを知り家に招待してくれたのだった。クリスマスツリーの形にデコレーションされたお寿司を食べ、チョコレートやキャンドルなどのプレゼントをもらったことを覚えている。

思い返せば直近の2年のクリスマスと大晦日は年上の独身女性とともに時間を過ごしている。日本にいてもそうしていただろうか。

26歳、結婚したのは大学や高校の同級生の中では早い方だった。29歳で単身で東京に行き、31歳で離婚。その頃には既に、結婚し子どものいる同級生たちとは疎遠になり始めていた。そして、歳をとるごとに「違う人生」を生きる人たちとは縁遠くなっていった。

そう考えると私にとってクリスマスとは、「違う人生」を象徴するような出来事なのかもしれない。
ガラスの向こうに、あたたかな「家庭」の匂いを感じる。

でも、そこに必ずしも独身よりもたくさんの幸せがあるかというとそうでもなく(「たくさん」はあるのかもしれない)、それぞれの人生に、それぞれの大変さや悩みがあるのだということを最近になって感じるようになった。

 

今、昨年、一昨年の自分を今、外側から見ている。

外側から見ることができるということは、自分自身に変化があったということだ。

今年はクリスマスや年末年始のことをわざわざ考えることはない。

我が家にはクリスマスツリーはないが、ここにある時間はあたたかい。

 

これまで過ごしてきた「充実していた時間」は、比較的賑やかなものだったが、今はそれに比べるととても静かだ。心穏やかに毎日を過ごせることほど幸せなことはないと、今は思っている。
2019.12.22 Sun 18:19 Den Haag

498. アントワープの駅舎、時空の扉

昨日は日帰りでアントワープに行ってきた。アントワープに行くことを決めたのは一昨日の午前中。クリスマスが終わるとお店が休みに入るところもあるかもしれないということで、一番早く行ける日程を選んだ。ハーグからアントワープまではバスで片道2時間15分ほど。行きは約20ユーロ。帰りは16ユーロほどのバス代で行くことができる。電車でも行くことができるが乗り換えを含めると1時間40分ほどはかかりあまり所要時間の違いはないし、街の雰囲気を味わうことができるバスの旅は意外と好きなので、バスの時間を調べ、その場で予約を済ませた。

 

昨日、9時40分発予定のバスは、出発時刻より15分ほど前にバス停にやってきた。バスのステップを昇ると2階部分が全て座席になっていた。運転席は1階部分にあるため、2階の一番前も座席になっているというつくりだ。ハーグからアントワープまでの道のりをはじめ、これまで何度かヨーロッパで長距離バスには乗ったことがあったが、二階建ての一番前に座れるようになっていたのは初めてだ。二階建てバスの一番前に座ったのは、ロンドンのバスくらいだろうか。「万が一事故が起きたときは、一番前が一番危ないのだろうな」ということが微かに頭をよぎったが、「せっかくだから一番前に座りたい!」という気持ちが勝った。バスが走り始めた瞬間、「アトラクションみたいだね」とパートナーと顔を見合わせた。

 

バスは、途中、ロッテルダムのバスターミナルを経由して、12時前にアントワープの中央駅前に着いた。

アントワープはこれまで2度訪れたことがあったが、中央駅が一番の見所であるということを知ったのは、2度目の訪問の後だった。改めて見ると、建物の上部がドームのようになっている建物は確かに迫力があるとともに、他のどの建物とも違う独特な雰囲気が漂っている。

 

建物の中に足を踏み入れると、そこが「訪れておくべき場所」である理由が一瞬で分かった。

今、アントワープ中央駅の駅舎について言葉にしようとするも、その空間を表現しようとする自分の言葉がどれも稚拙に思えてしまう。どんなにテクノロジーや写真技術が発達しても、五感もしくはそれ以上の感覚を使って感じることにはかなわない。むしろ、これから、多くのことを機械が担うようになる中で、人間がやるべきことは生の感覚を味わうことなのではないか。そんなことが、浮かんでくる。

言葉にしきれないものを味わいながら私は、「この場所を人々はどんな想いでつくったのだろう」ということを考えていた。その感覚は、東京駅の入り口に足を踏み入れて、天井を見上げたときのそれに似ている。今この瞬間にこの場所を行き交う人たち、これまで行き交ってきた人たち、そしてその場所をつくってきた人たち。様々な人の人生の足音が聞こえてくるような感じがするのだ。私はその、心地よい雑踏の中に身を置くのが好きだ。声なきものの声が聞こえてくるのを味わうのが好きだ。

空港など、人がどこかに向かうエネルギーで溢れている場所も好きだが、基本的に空港というのは新しく、「かつての人々」の匂いがしないということにこうして書きながら気づく。

時空の扉が開いているような独特な雰囲気というのは、長い年月を経ている場所、場合によっては今は既に使われなくなっているような場所からだけ感じることができる。そんな雰囲気というのはたくさんの人のエネルギーが混ざり合っているのだが、そこには不思議な軽やかさがある。おそらく、積み重なるエネルギーを天に昇華させることができるようなパワーを持った場所だけが、何百年という時を超えて残っていくのだろう。

昨日訪れたアントワープのことを書き留めておきたいと思っていたが、「それ」が何なのかは書き出す時点で分かっていなかった。今こうして書いてみて、アントワープ中央駅の空間で感じたことが、自分の中に新たな音を響かせているのだと気づく。アントワープ、まだその街のことは何も知らないような気がしている。2019.12.22 Sun 18:47 Den Haag