495. 静けさという音

カフェを出ると、雨が降り出していた。首にかけていたマフラーを頭に巻いて小走りで歩く。「雨が降っていないタイミングで外に出ることができたら」とも思うけれど、よく雨が降るというオランダの気候を理解しているからか、あまり気温が下がっていないせいか、雨に濡れることがそう不快な感じもしない。オーガニックスーパーに寄り、豆乳と、アスパラ、クラッカー、そして久しぶりに店頭に並んでいた柿を購入して家に戻った。

この1週間、2日に1回は昼過ぎに散歩がてら外に出て、カフェでの時間を過ごしている。今日は街の中心部近くでアンティークと本のマーケットが開かれているということで会場となっている場所に足を向けたが、そこではクリスマスマーケットが開かれていた。ドイツのクリスマスマーケットにも似ているが、それに比べると控えめで日常的に出ているマーケットにも近い感じだ。

先日、オランダが国策として観光の抑制を行う方針を打ち出していたことを知った。抑制と言っても、観光客を歓迎しないというわけではない。持続可能な観光客受け入れのために、特定の都市や特定のシーズンに観光客が集中しないようにしていきたいという意向だ。これはインバウンドを呼び込むことに力を入れてきている日本とは、大枠で共通するところはありながらも根底として流れている思想が違っているようにも感じる。より長い視点で、より、日常的な暮らしとのバランスを優先して。そのオランダの考え方には共感する。

街を散歩しているとリノベーションの工事をしている家や、工事後に売りに出されている家が多いこと気づく。それに比べて新築の家の工事というのは限られている。新築がないわけではないが、市街地をむやみに広げず、街の中で、建物の枠組みはそのままに新陳代謝が繰り返されているという感じだ。見かけはそう年季が入っているようには感じない建物の壁に1890年代の年号が書かれているということもよくある。「手入れ」という言葉は、私の中でオランダもしくはオランダ人の気質を象徴する言葉の一つだ。

今日、お茶をしたカフェもそんな、古いけれど手入れされ、すっとした心地いい空間として生かされている場所だった。なめらかな曲線が美しい注ぎ口を持つケトルが並ぶ棚、物が置かれずスッキリとしたカウンター。整然とした空気感は以前勤めていた煎茶の店を思い出す。しかし、そこに流れる音楽だけが、ポップなのかロックなのか分からないが、私の中ではその場に似つかわしくないものだった。

静けさ以上に美しい音楽があるだろうか。
静寂以上に人の心を癒すものがあるだろうか。

この感覚というのは他者と擦り合わせることが難しいものの一つかもしれない。

例えば日本(オランダでも)のシェアオフィスやコワーキングスペースなどは音楽が流れているところも多いが、私はその中ではなかなか集中することができないし、ましてやその中で打ち合わせやセッションをするなど、もってのほかという感じだ。

こんなにも静けさを求めるようになったのはいつの頃からだろう。
静けさというのは聞こえてくるものだけではない。文字、光、心の声。私の中では全てが並列で、全てが、過剰だと、ノイズとなって心の余白を埋めてしまう。

思い返せば小さい頃から家の中は比較的静かだったかもしれない。父が音楽関係の会社に勤めていた関係で、家にはレコードはたくさんあった。しかし覚えているのは、時折、父がレコードで落語を聞いていたことや母がラジオでクラシックかNHKのなんだかとても落ち着いた番組を聴いていた様子だ。テレビも見るのはNHKだったので、NHKでやっていたお笑いの番組は知っていても、中学生や高校生のときに流行っていたドラマは全くと言っていいほど知らない。知っているのは、『古畑任三郎』と『王様のレストラン』くらいだろうか。

この日記でも繰り返し書いている気がするが、オランダの静けさというのはとにかく自分にとってはとても具合がいい。

今日はこれから、いつもに比べると遅い夕飯を食べる。じゃがいもの皮を剥く音が、心地いい音楽のように聞こえてくる。2019.12.19 Wed 18:59 Den Haag