487. 何気ない一日、幸せな一日

書斎の窓から、中庭の木がゆらゆらと揺れているのが見える。青空は見えないが、南東の空から鳥の子色の光が広がっている。そういえば、朝、布団のあたたかさを感じながらまどろんでいたときにはカモメの声が聞こえていた。12月の半分が静かに歩き去ったことを、昨日書いた日記の日付を見て思う。

昨日は日記を書いた後、いくつかの作業をし、散歩がてら外に出た。近くの商店街に週末に出るハーリングやさんに行こうかと思ったが、風が強く、外でハーリングを食べることを躊躇し、結局、その商店街とは逆の方向にある別の商店街に足を向け、カフェに入った。少し前に近くに住む日本人に「このあたりでコーヒーが一番美味しい店だ」と教えてもらった場所だ。それまでも何度か足を運んだことがあったが、そう聞くと、コーヒーを飲まないながらも「あの店にしよう」という気持ちが強くなる。

そこにはいつも、主に奥のキッチンにいる女性と入り口近くのドリンクスタンドにいる男性のスタッフがいる。いつも二人は機嫌が良いが、昨日はなんとなく、いつもとは違う雰囲気だった。「開店前にケンカでもしたのだろうか」と想像する。人は何を見て、他者の状態を想像しているのだろう。表情、声色、視線、身体の動かし方。いろいろなものを無意識に、総合的に捉えている。しかし、捉えているものは同じでも、そこから想像するものは人それぞれだ。同じ人を見て、怒っていると思う人もいれば、何も思わない人もいる。実際に「相手の状態」というのはあるけれど、「自分の状態(もしくは思い込み)」と半々くらいで、世界を見ているのだろう。

あたたかいスープを飲み、ミントティーを飲み、にんじんのケーキを食べた。心地いい場所にいると、自然と身体と心がゆるみ、心の中に浮かんでくることがあれこれと言葉になっていく。周囲の人の声が意味に変換されないのは、心身が楽でいられるポイントでもある。言葉の結び目がほどかれ、そして新たな糸とともに織られていく。ゆったりと話ができるときはそんな感覚だ。

2時間ほどカフェでの時間を過ごし、オーガニックスーパーに寄り、帰ってきた。そしてまたお茶を淹れる。人が家にいるときは、ずっと何かしらお茶を淹れて飲んでいるかもしれない。「今この場にはどんなお茶がいいかな」と考えることは私の楽しみの一つだ。お茶の選び方一つで、会話の向かう方向が変わってくるような感覚もある。静かにお茶を飲みながら、訪れる人と対話をする。そんな場所をつくりたいということを、ここ数年、何度も確認しているし、いよいよそこに近づいているように思う。

夜にはビーツを使ったスープを作った。ビーツの鮮やかな赤と玉ねぎ、豆乳の色が混ざり、美しい赤い色のスープができた。あの色は、日本の色の名前では表すことはできない。あえていうなら薔薇色だろうか。その土地で採れた野菜を使ったスープを季節ごとに楽しむ。それはオランダらしい食の楽しみ方のような気がしている。

私は基本的には孤独を愛している。今もこうして、小さな書斎で一人、窓の外を眺め日記をしたためる時間がとても落ち着くし、誰とも話さず過ごす一日もこれからもきっと必要だろう。しかし、「美味しい」、「美しい」と、体験からこぼれ落ちた言葉たちが同じように誰かの体験からこぼれ落ちた言葉と出会うというのも、とても幸せなものだと改めて感じる。小さくて大きな幸せがそこにあるということ。それはともすればすぐに忘れてしまう。それは、一人でいても誰かといても同じだ。この瞬間に生きているという美しさを、味わい続けたい。2019.12.15 Sun 9:40 Den Haag